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私の読書感想:14

せめて気の済むまで戦争をやらせてやってくれ
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戦争書籍No.14:「死の島」ニューギニア
◆尾川正二著 ◆1998年発行 ◆定価752円

「前人未到の大自然の中で東部ニューギニア15万余の将兵は連合軍との死闘を演じつつ、灼熱と闘い、悪疫と闘い、そして飢餓と闘わねばならなかった。大平洋戦争中、最も悲惨な退却と戦史に記された戦場を凝視しながら兵隊たちの生存を賭けた闘いの中で、戦争と人間の相克を描く感動のノンフィクション」と扉のカバーに書いてあった。飢餓というタイトルにこんな文章があった。曰く「戦場は絶え間ない戦いの場である。敵との、自然との、悪疫との、そして自分自身との。さらに加えて飢餓との戦いがあった。木の芽、木の芯を食いながら山の中を彷徨い歩く。飢餓は人の心を荒ませ、固く自分の殻の中に閉じ込めてしまう。ものを言うこともなくなり、笑いを忘れる。何ものにも関心を示さなくなり、カラカラに乾いた胃袋に向かい合ったまま生命の火を凝視し続ける。

夕暮れ先頭の方に異様などよめきがあった。廃園にぶつかったというのである。どのような宝庫が待ち受けているのか、我ながら生き生きとした気分が突き上げてくるのを抑えかねた。思わず急ぎ足になる。見ると背嚢を下ろし、銃を捨てて乱入している。生きのいい声が一杯にコダマしている。掘り残しのイモを掘る者、青いパパイアを落としている者、それは活気に溢れていた。サトウキビを見つけて帯剣で叩き切った。しゃぶった。噛った。覚えず唸り声が出るほどそれは全身にしみていった。飢えた狼ーそれが陳腐な形容とは思えなかった。ガツガツ噛っている自分が何ともあさましい気がしてくる。てんでに獲物に殺到し、歓声を上げている。今の刹那の喜びに我を忘れた楽しい風景だった。ぽっかり浮いた雲を見た。遠く霞んだやわらかい自然を眺めた。笑いさざめいて見える。雲、それから一望の風光をキビと共にしゃぶっていた。何かまともに食えるものがあるという喜び、それがそれほど心の余裕を生み出すものなのか。この景色を背景にしてキビを噛っている一人の男を眺めて見ることさえできるのだ。今しがた暗い雲の中に頭をつっこんで固く感情を閉ざしていたものがである。そんなことを考えながら口の回りを甘い汁で濡らしていた。食うということがこれほど人間の神経を支配していることを歓喜のさざめきの中に確かめていた…」

また、奈落ではこんなことが書いてあった。曰く「欠乏の生活は我々を奈落の底に追い込んでいった。飢餓道の責め苦に悶え、地底の泥土にあがいた。飛ぶ虫、這う虫、枯れ木に巣食う虫、手当りしだいに食膳に供せられた。人間の生活ではありえなくなった。振り回した棒切れがうまく当たってシッポをビリビリ震わせているトカゲを引っ付かみざま口の中に放り込む。正常な神経の耐えれる世界ではない。形容すべき言葉を知らぬ。一匹のイナゴ、それにどれだけの栄養価があるのか、と考える。一本の茸、一枚の葉、食道を通る一つ一つが生命に直結する貴重なものに思われてくる。夜、飯盒でイモを煮ているとカエルが飛び出してくる。それを引っ付かんで飯盒の中に放り込む。「おい、御馳走だ。お前の飯盒の中にカエルを入れといたぜ」「おう、そうか。そりゃすまんかったな」心からの感謝の言葉なのだ。こんな会話の成り立つ場を何と言えばいいのか。光の射さない世界と言う他はない。…」と続く。

理性の圏内においてのみ、美徳も悪徳も存在できる。理性の圏外にはみ出したところで行なわれた行為が戦争であるとするなら、美徳も悪徳も所詮さざ波にすぎない。1/261のその一名というまさに奇跡的な生還をした筆者の、その矛盾の中からたとえさざ波であろうとも、人間でありたいと願いつつ死んでいった戦友たちの真意を伝えたいというのがこの手記の目的なのである。

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戦争書籍No.15:ガダルカナル兵隊戦記
◆牛尾節夫著 ◆1999年発行 ◆定価895円

「年齢32歳、妻子ある老補充兵はなぜ名も知らぬ孤島に立ち、なぜ飢え、なぜに朽ち果てねばならないのか。戦争のもたらす悲惨の限りをなめ尽し、身の非運を呪い嘆きながら、再び故郷に相見ゆる日のあることを祈るほかなかった帝国陸軍最下級兵士が飢餓と悪疫の戦場ガダルカナル島の原体験を綴る話題作」と扉のカバーに書いてあった。全編悲惨のカタマリだったが、「あなたとは死にたくない」というところにこんな文章があった。曰く「私の幕舎から10mの場所に、部隊長副官O中尉の幕舎があり当番兵が1人付いていた。部隊長は既に上陸第1日目に戦死されているので、このO中尉が中心となって我が部隊の指揮をとっているのであろうか。他には将校の姿はなく新部隊長が就任したとのことも聞かないから、そのあたりの指揮系統は我々末端兵にはいっこうに判らない。

部隊本部O中尉の当番兵は我々と同じく昭和15年8月1日に広島工兵隊に召集された補充兵である。年齢も30歳余、長身面長で色白く地方での教養のほどは判らなかったが、無口で温厚な紳士といったタイプである。私は彼とは同じ隊ではなかったので一度も口を交わしたこともなく、名前も知らない。お互いにひとり歳をとり、家庭も持ち、分別もつきかけ、人生もこれから油がのろうという時に突然の役場からの一枚の赤紙によって、全ての人生計画を断って隔絶された軍隊生活を余儀なくされた同年兵である。そして我々同年兵は年齢に関わりなく不遇だった。入隊2年4ヵ月の現在まで、いまだに初年兵待遇で隊内の炊事、掃除、その他雑役使役に甘んじ、自分より10歳も年下の班長、将校などの当番兵に当てられ気の休すむ時間もない始末だ。

ときおり、お互いに見合わす同年兵の目の中には、その身になった者にしか判らない共通した光を感じ取っていたものであった。今日も彼は1人の副官将校のために、そして私はわが隊の8人のために、現在としては最も重要な日課仕事である炊事をするのである。朝、例のごとく私は飯盒を3コづつ両手に下げて幕舎を出た。海辺の道で帰ってくる彼に出会った。痩せた彼の全身と何か訴えるような目付きとが今までになく異様に感じられた。翌日ついに彼は炊事に立てなくなった。過労と栄養失調であろう。その朝、彼等の幕舎からO副官が彼に起床を促している声が聞こえた。「おい当番、どうしたのだ」彼は伏したまま両腕で床を支えて頭を上げるが、苦しいのかまた頬を毛布にふせる。

それから私達の朝食もできて、向かい合った幕舎の入口に腰を下ろして8人の朝食をはじめた。副官の当番はまだ起きない。我々の朝食が刺激を与えたのか副官は今度は激しく当番を起こしはじめた。「おい起きろ、起きて炊事をしろ。それがお前の任務ではないか」と激しい口調である。彼は、最初は何度も起き上がろうとしたらしいが、精魂尽きたのか動かない。その痛々しい背に向かって激しい言葉は続く。「貴様はこの俺がこれほど言っても判らぬのか」副官の声は次第に大きく周囲に響き渡るが彼には全然通じない。もう見るにたえない。副官の大きな声はなおしばらく続いた。私は叫びたかった。「もう止めてください。今の彼にはどんな激励の言葉よりも、1分でも早く休ませてやってください」と。

O副官は陸軍仕官学校出で軍人を一生の職とする人である。私は思った「うん病気か無理をさせたな。病気になった以上はしっかり休養せよ。俺のことなんか心配せずに寝ておれ」くらいの慰めの言葉は出ないものだろうか。しかし、最後までそんな意味の言葉は聞かれなかった。というより、その日のあの激励以来、もうその当番兵をダメだと判断したのか、まるで掌を返したようにその後は全然取り合わず、同じ幕舎に隣り合って寝ているのに、声も掛けず様子を見てやる姿さえ見かけなかった。その2日後に、その当番兵は横になったまま黙って死んで逝った。が、O副官は顔色も変えなかった。またしても戦争というものの非情さを身近に感じさせられた時だった。もの言わざる一当番兵の死、だが、その日も“ガ島戦線異常なし”であろう。こんな話が延々と続く。
# by tomhana190 | 2010-03-13 09:21