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私の読書感想:9

知れば知るほど悲惨だった戦争
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戦争書籍4:『レイテの涙雨
◆小橋博史著 ◆昭和57年発行 ◆定価1,200円

昭和19年7月20日、約730隻の艦船で送り込まれた25万7千余人(最大時)の米軍と1500機の飛行機がフィリピン・レイテ島の日本軍に襲いかかった。それに対して「レイテではなくルソン島を決戦場に」という現地軍司令官と「今こそ、レイテで敵を撃滅」という南方総軍や大本営の意見の食い違いの中で、レイテ島へぞくぞく増援部隊が送り込まれた。レイテを守っていたのは京都の第16師団(垣)ほか18000人。そこへ東京の第1師団(玉)と愛知・岐阜・静岡・三重出身者で構成する第26師団(泉)を中国大陸から、その後順次に第102師団(抜)、第68旅団(星)、独歩第364大隊(野尻)、第41連隊(第30師団)、それに天兵大隊、独混第58旅団、戦車第6連隊、10連隊の一部、海軍陸戦隊などをミンダナオ、セブその他から送り込んだ。その数約75000人。米軍は艦砲、空爆でみるみるレイテ島のカタチを変え日本軍を圧倒した。日本軍の戦死者は79000人。生き残った人は数える程しかいない悲惨な戦いであった。

ここで登場してくる第1師団と第26師団は中国大陸では勇猛兵団として名高かった。しかし一度も南方戦線で戦った経験はなかった。このような兵力をいきなり見知らぬ土地へ入れるとどうなるか。気候・風土・食料に対する考え方、戦う相手が違うのだからどのような作戦でやってくるのか第1師団も第26師団も全然知らなかった。第1師団などはオルモックに上陸し、前線へ出発する時ラッパを吹いて行進したという話が伝えられている。中国大陸なら通用するかも知れない風景だが南方戦線ではこれでは時代遅れである。また、当時レイテ島は人の住める土地が総面積の1/5に満たないといわれていた。そんな島へ8万人もの兵力を投入して武器・食料の補給をどうしようと考えていたのだろうか。日本軍の好きな現地調達を考えていたとしたらお笑い種である。有数のゲリラ地帯でどうしようというのか。こうして見ると日本軍は何にも知らない井の中の蛙だった。

南方戦線で戦った日本兵たちは米軍の携帯食料を奪って見て一様に驚いたという。何故なら、パラフィンで包まれた箱の中に、肉・バター・チーズなどの缶詰、ビスケットまたはクラッカー、インスタントコーヒーまたはジュースなども入り、おまけにチョコレート、タバコが4本入っているという完全携帯食料。それに比べて日本軍は乾パンにコンペイ糖という寂しさ。米軍はこの食料、兵器、弾薬をフィリピン人を使ってどんどん前線へ運ばせた。日本軍は補給がないから自分で草の根、木の根を掘って食べながら戦うという悲惨な戦争であった。それに南方戦線特有の熱病とジャングルの山ヒルが拍車を掛けた。マラリヤ、デング熱の高熱は一歩も動けなくしてしまうし、山ヒルはとこるかまわず吸い付き、血を吸い、その跡がやがてデキモノになる。もう一つ、食料とともに塩がなくなっていた。塩分がなくなるとみるみる体力がなくなってしまう。そうして日本軍は負けるべくして圧倒されていった。何万もいた兵士達がこつ然と消えてなくなってしまった。生き残った人は数えれる程度しかいなかったという。

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戦争書籍5:『玉砕しなかった兵士
◆横田正平著 ◆1988年発行 ◆定価1,800円

著者は確かにこの戦争で戦死する覚悟だった。しかし彼はサイパンで日本軍の欠点をあまりにも多く見すぎてしまった。また、グアムで米軍の物量と科学のチカラが予想以上であることを思い知らさせた。それにもまして「こんな上官に連れられて死にに行かねばならないのか…」という絶望的な想い。結局著者は米軍に投降する道を選び、グアムからハワイに移送され終戦まで捕虜収容所で過ごした。この手記はその時綴られたものと思われる。わずか10ヵ月たらずの話なのだが何年間もの出来事に思える程その内容の持つ意味は濃厚で重い。この記録を通してあぶり出されるのは日本軍のどうしようもない精神的貧困の実相である。同時にそれが豊かな現代日本の社会の中にも脈々と生き続けていることに驚かされる。

この本のストーリーは1満州、2黒い海、3サイパン、4大宮島(グアム島)、5青葉山、6ハワイとなっている。著者がグアム島に移ってから投降するまでをタイトルで綴っていこう。赤児の寝台。6月15日、敵艦隊現る。記念品。我に2万7千機あり。幹部の酒宴。サイパン逆上陸記。大平洋の防波堤。腐った魚のように。ぜひ、サイパンに行かせていただきたい。白浜の別荘。色あせた紅しょうが。業務としての艦砲射撃。鶏舎の建造。サイパン玉砕を聞く。敵は上陸すまい。牛殺し。最後の酒はそうして消えた。掘る、移る、また掘る。弾と米は分散された。米軍上陸前夜。監視哨。青葉山に早く行け。初めて見る皇軍敗走の跡。砲のない砲兵。死ぬなら水のほとりで。その日から米がない。ひとつ、御馳走してくれんか。葦の小屋がけ。戦場の迷子。マリアナは見捨てられたのだ。誰のために?。俺が死んだあとは?。戦後の世界。二人は壁を飛び越えた。殺すだろうか?。殺されて、もともとだ。脱出計画。友軍の位置。踏み切れない。脱出。そうして著者と星野上等兵は捕虜になった。

この本のあとがきにこんな文章がある。「私(著書の妻)の心に印象深く残っているのは横田が亡くなる2年前にはじめて夫婦旅行で上海や北京へ行った時、心から嬉しそうな顔をして中国の風物を眺めていたことです。そのあとで『病気が治ったら今度はグアムへ行こう。どんなに町が変わっていても、僕には認識票と印鑑を埋めた場所が絶対判るよ』といっていたのですが、コレは果たせずに終わりました」とある。お国の為といって積極的に戦争に加担した人もいた。それは偽らざる事実だ。だが、自ら進んで捕虜の道を選んだ人もいた。ドッチがいいと単純に考えるのは当時命を掛けて身を持って体験していた多くの人々に対しては何か不遜のような気がした。
# by TOMHANA190 | 2005-12-21 16:41