息子がいなかったため、親類の吉田善右衛門が養子となって朝日家の跡を継いだ。 しかし、その善右衛門も1726年に病死、そして断絶。こうして朝日家は消滅した。 という訳でその後、文左衛門の住んでいた屋敷は別の人に下げ渡されてしまった。 それ故、現存している江戸時代の地図(現在の住宅地図みたいなもの)には 朝日文左衛門という名前は何処を探しても出てこない。 結果からいうと、朝日文左衛門が何処に住んでいたのかということは 今もって謎ということになる。 仮に判っても、江戸時代の屋敷が文化財でもないのに残っているはずもなく、 今では綺麗さっぱりなくなってしまったということだ。 要は成り金による成り金趣味の家ということになる。 それでは余りにも味気ない話になってしまうので、 地下鉄「高岳」駅からワザワザ歩いて武家屋敷を探しに行ってきた。 明治に代わって約140年も経った現在、家おろか道すらも大きく様変わりしている。 「これが武家屋敷なのか」と思える建物は皆無に等しい。 そんな中、明治時代に建てられた通称「貞奴邸」がこのエリアに移築されていた。 周りも整備されてまるで公園のようになっていた。ただ、それだけのこと。 こういう建物を有難がっているようじゃ、先が思いやられる。 しかし、その前に建つ料亭の駐車場に思わぬものを発見した。 有に樹高25mはあろうかという保存樹が駐車場の隅にデ〜ンと立っているではないか。 ふと「この保存樹も江戸時代は誰かの屋敷の庭先にあったのかな」と 何気なく思いながら、その時一瞬閃いた。 「コレは使える」と。 屋敷や道路は何時しか変わってしまうものだが、木はおいそれとはなくならない。 ということは、この地域に残された古い木を見つけてくれば、 その木は自動的に江戸時代からそこにあったということになる。 「フ〜ン」なるほどな。 という訳で、在りし日の武家屋敷の風情を探す旅が、 あっいうまにこのエリアの古木を探すツアーに様変わりしてしまった。 次に見つけたのは金城学院高校の正門前の、ちょっと道路にはみ出していた木。 駐車場にあった木よりはずっと小さかったが、この木も何か曰くありげの木だった。 そう言えば、駐車場の木には東区認定の保存樹だということを示す標識も、 名前と由来を示す歴史的な看板すらなかった。 ここまで大きくなったならその木が個人のモノと思うより、 地域全体のモノという認識がなくちゃいけないと思うんだが、 ここの料亭どう思ってるんだか判ったもんじゃない。 それともうひとつ、このエリアには江戸情緒をいやが上にも醸し出す 神社というものがひとつもないときている。 寺も「妙道寺」という日蓮宗の寺があるだけなのたが、この寺もどうってことなかった。 精神的な拠り所としての神社仏閣がないからか、 変な新興宗教の本社やおかしな会員制施設がはびこりつつある。 ただただ、嘆かわしいことである。 そう思いながら、所々に残されている昔の面影たっぷりの街並を写真に残してきた。 たまには、こういうのもいいのかな。 更に今回の御負けは地下鉄「市役所」駅を目指しての帰り道に見つけたもの。 ♪それは何かと言ったなら♪ 今では「市政資料館」と名付けられている旧名古屋高等裁判所だ。 赤いレンガが勇ましい建物だった。 でも、それだけのこと。 どうみてもそうは見えなかった。
by tomhana190
| 2006-05-25 07:30
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人生の御負け
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