ここは単なる料亭の入口だ。 名古屋城下の東部、現在の東区白壁町の辺りは江戸時代には山口と呼ばれた地域で、 当時そこには家老や上・中級藩士用に1戸当たり300〜700坪に屋敷割りされ、 その周囲を下級の家臣団が固めていたという。 これらの屋敷は屋敷替えの命令や家の断絶など、よっぽどのことがない限り、 代々受け継がれるのが一般的だった。 この地区に屋敷を構えた人物では渡辺新左衛門家(幕末に起きた「青松葉事件」の 3重臣のひとり)の他、幕末維新に活躍した田宮如雲などが住んでいた。 また京都三十三間堂の通矢で知られる星野勘左衛門茂則、 徳川義直が招聘した中国人学者陳元贇、私の愛読書でもある「鸚鵡籠中記」の著者、 御畳奉行朝日文左衛門重章などがこのエリアに屋敷を与えられていたという。 ◆青松葉事件:1868年1月、鳥羽伏見の戦いの直後に起きた事件。 国許から佐幕派のクーデターの動きがあるという注進を受けた尾張藩主徳川慶勝は 京都から帰国するや渡辺新左衛門在綱、榊原勘解由正帰、石川内蔵允照英の3重臣に 「朝命によって死を賜るものなり」と告げ、また何の抗弁の機会を与えることなく斬首に処した。 その後も藩内佐幕派11人を斬刑とした事件である。青松葉というのは渡辺新左衛門家の 家紋のことで彼は藩内に多数ある同族一門と区別するため青松葉家と称したという。 その後、尾張藩は官軍の主力として中仙道から東北まで転戦。藩論を短期間に 勤王に統一するために、更には新政府での保身のためにも、藩内の佐幕派勢力を 一掃しておく必要があったのであろうが政治の生んだ過酷な悲劇といえる。 そもそも御畳奉行朝日文左衛門とはいかなる人物であったのか? 彼の祖は戦国時代の甲州武田の農夫であったという。 戦で功をなし、武田家そして家康の家臣平岩家に仕え、 曾祖父は尾張徳川家御城代組同心にまでなった。 本人は21歳で家督を相続し、27歳の時御畳奉行に就く。 35歳の時父定右衛門の名を継承。 家禄知行100石(当時の年貢率では手取り約40石)取り、更に役料が40俵程。 しかし、文左衛門の浪費のため家計は火の車だったとか。 住まいは城から約2km弱東に行った、 現名古屋市東区主税町辺りだったといわれている。 北側の道路に面したおよそ430坪の大きな敷地に両親と妻、娘1人、 女中下男など7〜8人程の当時からいうと中級武士だった。 時代は元禄、関ヶ原の戦いから100年近くも経過し、 武士とは名ばかりで暇と教養はあるが金はないといった、 まさにサラリーマン武士が大半の世の中だった。 彼はエリートにはほど遠い存在だったみたいで、 飲む・打つ・買う、更には観劇・魚取り・下世話の話が大好きで、 しかも不良文学青年だった。しかし驚異的といえるほどの筆まめで、 父定右衛門から引き継いだ古書奇書を筆写した「塵点録」全72冊を完成。 そして1691年18歳の時から死の前年の1717年45歳まで、 ひたすら書き綴った日記「鸚鵡籠中記」全37冊を世に残した。 彼の仕事始めは名古屋城城代組本丸御番という役職で、勤務は9日に1度だけ。 一昼夜出仕すればよいという至ってのんびりとしたもの。 おまけに勤務中のお酒は許されていたので、 当直しているのか遊山に出向いているのか判ったものではない。 そして非番の日(当然9日間に8日間もあった)は表向きは武芸や学問の自宅研修と いったことになっているのだが、誰もそんな腹の減る真似などする者はいなかった。 それよりも直属上司や同僚といった者との交際のほうが大事だ。 この交際さえ小まめに、しかも無難にこなしてさえいれば、 月に3日だけの勤務であとは全て自由時間だ。 そういうことで彼は魚釣りに出かけたり、 人目を忍んで御禁制の芝居小屋を覗いたり、 酒、女、博打と様々な暇つぶしの芸や享楽に首を突っ込んでいった。 「鸚鵡籠中記」を見る限り、当時の藩士達の死因で最も多かったのが酒毒と腎虚。 つまり大酒とセックス過度ということ。 そういう彼も酒毒に冒されて45歳という働き盛りでひっそりと幕を閉じた。 絶筆は「29日、快晴。当暮、肴など大分買ひ…」で終わっている。 彼の死を記録したものは菩提寺善篤寺に残された回向帖と、 彼が終生師事し兄とも慕った天野源蔵の著「塩尻」の中にある 追悼の詩文の他には何もない。 では朝日文左衛門が住んでいた屋敷は何処にあったのか? そこは今、どうなっているのか? この続きは次回のココロだ。
by tomhana190
| 2006-05-25 07:26
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人生の御負け
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