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名古屋巡礼記:66

小谷城巡礼の旅/前編

今回の巡礼は最初にT美が何を思ったか、
「またあの城、小谷城へ行きたいぞ」とのお告げがあったことからそもそも始まった。
しかし、話はT美とM美のT沢姉妹の2人だけで秘かに交わされていたみたいで、
「明日、天気が良かったら小谷城へT美と行ってくるからね」と突然言われて知ったのだ。
しかし、私としてはその日の土曜日は天気が良ければ事務所に行こうと思っていたので、
「どうぞ、気を付けて行ってりゃぁ」と名古屋弁丸出しで相づちを打っていた。
そして当日、土曜日の昼過ぎ「今頃、ヤツ等どの辺りかな」と思っていると、
「今日は小谷やめた。これからお父さんと墓参り行ってくる。
明日だったらアンタも一緒に行けるでしょう?」といきなりM美から電話があった。
その話を聞いていていて「なんだ、そういうことか」と合点がいった気がした。
2人とも、ナンダカンダ言っても自分達の方向音痴が心配なんだ。
だから、歩くナビゲーターである私を是が非でも一緒に連れて行きたかったんだ。
そう思うと「普段きついこと言ってても、案外可愛いとこあるじゃない」と思った。

そうして朝9時半、地下鉄「一社」駅の前で待ち合わせをしたのだが、
案の定、T美は10分ほど遅れた割には何喰わぬ顔でイケシャアシャアとやってきた。
その間にM美は今日食べるオヤツをコンビニでゴッソリ買ってきて準備万端。
こういうことには気が付くというか、抜かりがなかった。
そういう私、2人には内緒だが今日の巡礼の行程は既にだいたい決めていた。
まず、関ヶ原ICで降り、後は秀吉の時代からあったという北国脇街道(国道365号線)を
長浜方面に向かい、小谷城へ着くというルートが基本路線。
途中、神社や古墳などを尋ね歩くといういつものまんざらでもない感じなのだ。
そしてその後8号線を南下、彦根を過ぎたら適当に神社を探してお参りする。
そして、前に訪れたことのある「胡宮神社」へT美を連れてって、
最後はいつもの「多賀大社」にお参りする。
こうすると一筆書きのように同じ道を走らなくていいし、我ながら感心のルートであった。

日曜日だというのに車は少なく、東名に入って1時間ぐらいで関ヶ原ICに着いた。
ココからは一般道である北国脇街道を北西に向かって走る。当然初めて走る道だ。
伊吹山ドライブウェイの入口を過ぎた。春遠からず、まだ通行止めだった。
岐阜県から滋賀県に入ってしばらく行くと坂田郡伊吹町に「泉神社」という神社がある。
鳥居マークのすぐ傍に「泉神社の湧き水」という文字も燦然と輝いているところ。
こういうのがクセモノなんだ。すぐ見つかる時もあれば、全然見つからない時もある。
まぁ、行った時のお楽しみということで地図を見ながら近づいていった。
すぐに判った。というのも地図に載ってない新しい道がチャッカリできていて、
そこには「泉神社の湧き水はコチラ」という文字があるではないか。
丘を切り開いた真新しい道を行くと、何か駐車場らしきものがあり、既に何台も止っている。
ナンバープレートを見ると大阪難波や遠く愛知県のも含まれている。
駐車場に車を止め、丘を下り始めたらすぐに見つかった。
10人ぐらいの人々が側溝脇の何でもないところで固まって、
持参した多くのペットボトルを持ち込んで、皆でワイワイ作業をしているような、
それでいて順番を待っているような、閑散とした村里でここだけケイロの違う、
活気のある朝市のようなところに出くわした。
ここが湧き水の出てるところであった。
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門前、人を成すという感じだった。T美があくびをしている。

神社の付属する建物に泉の効能というか有り難さを書いた看板があり、
回りを見渡すとそこは神社の境内のフチで山の上の方には肝心の拝殿が垣間見えた。
作業をしているところから湧き水がコンコンと出ているかと思っていたら、
そこから30mほど離れた神社の境内の中から湧き水が川のように流れ出ていた。
相当な量だということは判ったが、実際どれくらい出ているのかは見当もつかない。
肝心の神社は崖の下から覗くと、第一印象は真新しそうでチャチな感じ。
と、いってもワザワザココまで来て行かないという訳にもいかない。
意を決してお参りに行こうとしたのだが、
神社へは急な階段をそれも相当な数だけ登らないと行けないときている。
しかし、M美とT美がいる手前ココで躊躇も見せられない。
我ながらハムレットの心境だったんだな。
名古屋巡礼記:66_e0041354_931223.jpg
泉神社の長くて急な階段の山。

こんな大変な思いをして来た割にはココはいつもの何でもない神社だった。
お参りも無事済ませ記念写真も撮り終わり、地上へと戻る訳だがココからが問題。
M美とT美はというと、気遣いも見せずにさっさと降りて行った。
私はというと、緊張の極致という感じで命の綱である手摺を持って1歩1歩ゆっくり降りる。
その間どれくらい経ったのか、冷や汗が身体中から湧き出ているのが判った。
無事着いた時、思わず空を見上げた。真白な雲ばかりで感激も何も湧かなかった。
その頃M美はというと、水汲みに来ているオバサンに焚き付けられたのか、
家から持って来た私用のペットボトルのお茶を勝手に捨てて、湧き水に詰め替えていた。
汲み終わってから「煮沸しないとだめだからね」と言われて目が点になっていたという。
と、いうことは今日はこの水飲めないということなのね。
名古屋巡礼記:66_e0041354_9315114.jpg
いたって地方色の出ていない普通の狛犬がいた。

車に乗り込み、いざ出発。元来た北国脇街道にまた戻った。
この道、かの豊臣秀吉と柴田勝家の戦いで有名な賤ヶ岳の合戦の前夜、
大垣にいた秀吉軍が一夜で駆け戻っていったという歴史ある道。
当夜ここらの農民が狩り出されて、沿道から走ってくる兵士達に握り飯を配ったという。
という話をかいつまんでしたものの、2人の反応は芳しくなかった。
やっぱりこの2人、こういう難しい話はトント苦手であった。
日本史好きの私が次に選んだところは坂田郡山東町にある「息長広姫陵」という古墳。
この名前を聞いてピンときた人はナカナカの日本史好きと自負してもいい。
江戸時代をこよなく愛する私としてはうろ覚えでしかないのだが、
このお姫様はもしかすると王朝そのものが変わったと噂されている継体天皇の
確か現地妻的存在のお方のはず。
そんなこ古墳が街道から入ってすぐのところ(3万分の1の地図では)にあるみたい。
道路標識にもそれらしいことが書いてあると思った。
しかし街道から1歩入った村里の道は軽自動車もすれ違うことのできないような狭い道。
しかも地図があやふやだからどっちに行ったらいいのか判らないし、
それに狭い道とくれば、運転手であるM美の警戒アラームが鳴り出すのも時間の問題。
案の定「どっち?ねえ、どっち?」を連発する。これはパニクる寸前だ。
こうなってはいけない。こうなったら答はひとつ。
初めから来なかったことにするしかない。
ということは来た道をタダタダ戻るということ。
という訳で、今回の息長広姫陵を参拝するという計画そのものが
なかったことになったのね。
by tomhana190 | 2006-04-29 09:33


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