先日も、ずっと前に買った本を探し出してきて熱心に読む訳でもなく読んでいた。 (経験的にいって、こういう時に読む本は情緒的でマドロッコシイ小説よりは なんか科学的な○か×かといったカチッとした堅い本の方が気持ちよく眠れる) その日は「宇宙はこうして発見された」と題された宇宙の謎へのアプローチ物語という本だ。 何時買ったのかも覚えていないので、何時読んだのかも覚えていない昔の本だった。 これは誰でも経験があると思うのだが、本の内容が以前読んだ時は しっくり頭に入らなくて「ふ〜ん」という曖昧な感想というか、感想すら浮かばないような 言ってみればつまらなかった本が突然スラスラ読めて内容も納得するという 信じられないことが起きるんだな。この本もそういう信じられないことが起ったんだ。 突然だが、我々がいるこの宇宙とはどんな姿をしているのだろうか? と、いうことを考えたことはありますか? 考えてもショウガないからそういうことは考えない。 ともっともらしい答えが冷や汗と共に返ってきたが、 それでは今起きている自分の回りのことしか考えないという あの縄文人と何ら変わらないことになってしまうんだぞ。 と、偉そうなことを言っているが、私も日常の些細なことにしつこく追われて アクセクしているチッポケな蟻と何ら変わらない毎日を送っているというのが実状なんだが。 ここは宇宙的な、とてつもなく非日常的な質問を考えながら 脳を柔らかくほぐして、リフレッシュさせようではないか。 膨張を続ける我々の宇宙ではハッブルの法則が明らかにしたように、遠くの銀河ほど速い速度で遠ざかっている。と、いうことは充分遠い銀河は光の進む速度(いわゆる光速のことで毎秒30万km)で遠ざかっていることになり、そこからの光は波長が無限に延ばされてしまうので観測できなくなってしまう。観測できなければ、あってもないということと同じだから、そこが宇宙の言ってみれば地平線ということになる。つまり、そこからこちらまでの距離が宇宙の半径であり、その半径で描かれる範囲が我々の宇宙の大きさということになる。ハッブルの法則で計算するとおおよそ150億光年となるという。(あってもないという考え方が判るかな) 膨張を続ける我々の宇宙は時間を遡ればどんどん小さくなっていき、やがて1点になると理屈の上ではそう実証されている。そこが宇宙の誕生だから膨張が始まって現在までの時間が宇宙の年齢ということになる。宇宙の地平線も宇宙が誕生した時は1点だったから、宇宙が誕生して現在までの時間をかけて150億光年の彼方まで去っていったということになる。宇宙の地平線は常に我々から光速で去っているということから、今150億光年彼方ということは150億年経ったということになる。それゆえ我々の宇宙は150億年前に誕生したということになる。(そもそも無限の時なんていうものはない。お判りかな) 地球を起点に考えると、近いところでは太陽がある。太陽は直径が140万kmという巨大な天体だが、星の世界では主系列星に分類されるごくありふれた恒星のひとつ。こんな恒星が1000億個も集ってできているのが我々のいる銀河系ということになる。我々が夜空に見ることができる星は3000個ぐらいだが、これは銀河系の中でも比較的太陽の近くにあるものばかりといえる。銀河系の外には同じように1000億個以上の星が集った銀河が宇宙の彼方まで不均衡に分布しているが、その数は1000億個以上と考えられている。(途方もない数である) アインシュタインの唱えた静的宇宙は「有限だが果てない宇宙」ということだったが、膨張する宇宙では宇宙の地平線までが我々の宇宙ということなので「有限で果てのある宇宙」ということになる。ただ、宇宙の地平線が宇宙の果てといっても、そこで宇宙が終わっている訳ではなく、こちらを見れば我々のところが宇宙の地平線ということになる。もちろん、その向こうにも、さらに向こうにもと、いくらでも考えることができる。宇宙は有限か無限かということは別な方法で考えるべき。しかし、宇宙での情報のやり取りは光なので、光速で去っていく宇宙の地平線より向こうはどうやっても連絡が取れない。情報が来ない世界だから、それはあってもない宇宙ということになる。我々の宇宙は半径150億光年の有限宇宙であり、150億光年先に果てがある世界ということになる。 膨張する宇宙はよく膨らんでいく風船に例えられているので、球形だと思ってしまいがちだがそうではない。カタチというのは外から見た時初めて三角錐とか球ということがいえるのであって、宇宙は我々の全てだから外というのがない。外がないからカタチを見ることができないということになる。もっとも、見ることはできなくても、その性質を数学的に知ることはできる。それはあらゆる方向に一様等方で、その空間は曲がっているというものだが、あえて図形で表わそうとすると「膨張する閉じた3次元の曲がった球」ということになる。また、馬の鞍のような形の宇宙もありえる。もちろん、それがどんなものか誰にもイメージすることはできない。それよりも、実際の宇宙は3次元空間なので、2次元空間の風船のようなものではないということを知っていることの方が大切なことだ。(ここら辺にくると何だな) 宇宙は風船宇宙のようなカタチではないといったばかりだが、判りやすくするためにはあえてこの風船の例を使った方が宇宙の性質を理解する上では好都合なのだ。今、膨らんでいく風船地球儀が我々の宇宙とする。その地球儀の東京に我々がいるとして、そこは地球儀の中心だろうか。答はその通り中心。では北京はどうだろうか?答はその通り中心。ニューヨークでは?中心。ロンドン、パリ…みんな中心ということになる。つまり、球面状の全ての点は中心だといっても構わないし、だからどこにも中心はないといってもいいことになる。宇宙は一様等方で、どこも平等だからどこでも中心だといっていいということになる。
by tomhana190
| 2006-04-29 08:00
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人生の御負け
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