BE-INの細野君とはBE-INでというより、今池のユッカのレイトタイムライブで親しくなった。 その時、私は第2次ユッカバンドにいた。 メンバーはギターの雄サン、福チャン、私。それにハープの薫さん。 ベース、ドラムはメンバーが決まっておらず、飛び入りとか雄サンとかが代わりにやっていた。 細野君のいたバンドの名前は何故か覚えていない。 ギターが茂チャンと大沢君、ベースが細野君、ドラムがMクンというメンバーだったはず。 ボーカルは大沢君がメインで歌っていたんじゃなかったかな。 しばらくして茂チャンは新たにジミヘンのバンド「あじフライ」を結成したみたいだった。 (このバンドのベースはゴキブリというニックネームの変なヤツだった) そして、大沢君と細野君は新たなアメリカンバンドを結成したんじゃなかったかな。 (残念ながらこのバンドの名前も覚えていない) 歳の頃もだいたい同じヤツラが夜な夜なユッカに集って、 練習してきた自分達の歌を披露したり、セッションしたり、それはそれは刺激的な夜だった。 こんな思い出がある。今では名古屋の老舗ライブハウス href=http://www.ell.co.jp/>「エル」のオーナーに納まっている 茂チャンの津島(要は市外の小さな駅から歩いて15分くらいのところ)にあった実家まで 何故かワザワザ伺って、日曜練習というか家庭訪問したことがあった。 農家のような佇まいに似合わない楽器とかアンプ類がゴロゴロしてて一種壮観だった。 その頃の我々の肝心の技量は推して知るべし。それと、もうひとつ。 汲み置き式のトイレが何か新鮮だったのを覚えている。 しかし、肝心の細野君とか大沢君と何の曲をヤッタかというとこれまた覚えていない。 しばらくして街で大沢君と会って話をすることがあった。 茂チャンはハヤバヤとバンドから足を洗ってライブハウスの経営に。 しっかり者のMクンは指輪とかの彫金の仕事に変身していた。 大沢君はNHKの臨時のアルバイトカメラマンと親爺の焼き鳥屋の掛け持ちで働いていた。 細野君は何処かのダンスホールでベースを弾いているとのこと。 そして、あんなに仲よかった彼女と別れたようだが、これは定かではない。 こうした70年代の話題も私の心の中で渦巻いているだけで、 謎のままで終わってしまうのかも知れない。 最後に、あの頃ぼちぼち出てきた他のロック喫茶の話をして終わろうかな。 栄では今のGARY'Sのところにあった「アトム」。何度か行ったがこれといった思い出はない。 あの頃、若者の街だった今池にはダイエーの向こうの雑居ビルの1階入口右側にあった。 名前は確か「時計仕掛け」だったはず。結構長くヤッテいたんじゃないかな。 その同じビルの一番奥に初め「EAST GOODMAN」というジャズの店があって、 しばらくしてロック喫茶(そう、名前は忘れたのね)に替わった。 それと、私と関係のある店で、今の美仙の向いに「オープンハウス」という店があった。 (当然、美仙の方が後からできたのであって、その頃そこには「養老の滝」があった) この店(実は新栄オーティスの前身)、他の店とは違ってブルース専門の珍しい店だった。 それと石川端の西、名古屋市大病院からは東へ行ったところに、 普通の民家に挟まれるようにしてあった店。これまた名前はすっかり忘れたが、 店に入ると店内が2階建てのような変な造りだったことを覚えている。 当時のロック喫茶ではこんなレコードが大きな顔をしていたはず。 ![]() 「A Horse With No Name」もあの頃盛んにかかっていた。 ![]() ![]() ![]() ![]() 「Raindrops Keep Fallin' on My Head」という曲しかない。 ![]() 「Sweet Home Alabama」という曲。 ![]() 白人だというのに私には黒人が歌ってるように聞こえたから。 ![]() 「Never My Love」という曲もお気に入りの1曲だった。 ![]() ♪ この続きは次回へ
by tomhana190
| 2006-04-29 07:45
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人生の御負け
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