今回は70年代に私が足しげく通ったロック喫茶の話をしよう。 と、言っても何十年も前の話なのでひょっとして勘違いしてたり、 うろ憶えだったりして要領を得ない話になるかもしれない。 糸を紡ぐように思い出した話からするしかないので、 時間経過がむちゃくちゃで混乱するかもしれない。 ほとんどの出来事は私が酒を飲んでいた時に起ったこと。 私だけが「そう、こうだ」と思っていたことばかりを書くしかない。 もし、事実に反することを書いていたら素直にスンマセン。 この場を借りて先に謝っておこうかな。 (と、言っていい加減なことを書こうと思っていないのでご安心を) そもそもあの頃、まだライブハウスなんていうものはなくて、 あるのはロック喫茶という、一見ハデそうで実は喫茶店以下の何処かの 常連客が集る一杯飲み屋みたいな店があるだけだった。 まだ数もそれほど多くなくて、名古屋市内に数軒あっただけのはずだ。 (一応、我がバンドGOBの発祥の店「ユッカ」もかろうじて入るんじゃないかな) 最初に私が紹介するのは「BE-IN」という店。 確か、地下鉄「伏見」駅から少し歩いた所にあった飲み屋雑居ビルの1室にあった店。 雑居ビルといっても単に2階建ての古臭いアパートみたいな造り。 1階は道路から数段階段を下りた所にあって、2階へは内部の階段を上がって行ったのかな。 (2階へは1度も行ったことがないのでハッキリとは覚えていない) 真ん中にど〜んと1本通路があって左右にいかがわしい店がズラッと並んでる感じ。 案の定、トイレは店の中にはなくて、真ん中辺にあった共同トイレを使っていたと思う。 BE-INがあった場所は1階の入口を入った直ぐの左側だったと記憶している。 入口を開けると右側に厨房兼カウンター兼レコードプレイヤー兼レコード置場があり、 左側は一応全部客席だったはず。 (通路がコの字型にあったような記憶が微かにあるがどうだろう?) その頃、主に店に出ていたのが私より1〜2歳上だったと思う細野君だ。 のちに彼とはユッカでのフリ−ライブで親しくなった。 (基本的に私はビートルズファンで彼はローリングストーンズ、 私は後からブルースに傾倒したが、彼はビジュアル系に終始したようだ) なんせ30年以上も前のことをガタがきてる頭で思い出しているんだから、 あんまり覚えていないし、そもそも覚えようとして見ていなかったので、 細かいとこがあやふやでとにかく霧の中にいる感じ。間違っていたらゴメンナサイね。 店と言っても、さすがロック喫茶だ。入口以外は全て厚手のベニア製。 確か黒くペンキで塗られただけの状態だったんじゃなかったのかな。 店内はいたって簡素。床は木製。中学校の廊下の半分ぐらいの幅の木だった記憶がある。 イスもソファーか木製だったか定かでないが、たいしたものでないことは確かだ。 まぁ、半分寝転がって聞いていた記憶があるからソファーだったかもしれない。 時代物のレコードプレイヤーが1台。いいかどうかは定かではない。 厨房は厨房と呼ぶには余りに貧弱な設備しかなかったはず。 そういう訳でもないが、何かあったとは思うんだけどここで食事をしたという記憶がない。 この頃のこういう店では注文はほとんどがホット珈琲か水割り(もちろんサントリーホワイト)。 そして、常連といわれる人達がボトルキープ(もちろんサントリーホワイト)を置いていた。 (カクユウ私もホワイトのボトルキープをしていたはずだ) そして、ひたすらレコードから流れてくる音楽を聞いていた。何時間も一言も発せず黙々と。 大音量という訳でもないのに気密工事もへったくれもないベニア製のためか、 音があちこちに漏れに漏れていたようだったけどね。 その頃かかっていた曲といったら、もっぱら英国のロックがほとんど。 アメリカのロックは全然かからなかったんじゃないかな。 ![]() Rod Stewartの「Maggie May」 Joe Cockerの「Sorry Seems to Be the Hardest Word」 ![]() Freeの「All Right Now」 ![]() Steppenwolfの「Born to Be Wild」 ♪ この続きは次回へ
by tomhana190
| 2006-04-29 07:28
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人生の御負け
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