人気ブログランキング | 話題のタグを見る

名古屋巡礼記:61

井戸田巡礼

よく言われることだが、名古屋の街は道が広くて真直ぐだから迷わなくていいと。
確かに名古屋の街は東京なんかと比べるとそういうことが言えると思う。
第2次世界大戦のあと、人為的に作られた都市計画によって街造りが行なわれたことも
事実だろう。そもそも江戸時代から名古屋の中心地である広小路通から北へ
名古屋城までの間は碁盤の目のように真直ぐの道で整然と区画割りをしていた。
でも、何よりも名古屋の街全体がゴミゴミとした人の賑わいの少ない、
言ってみれば大いなる田舎のような街だったからに他ならない。

しかし、そんな名古屋の街にあってよく見るとケイロの違った町が所々にひっそりと
残されている。今回訪れた瑞穂区井戸田町もそんな町のひとつだ。
その町は地図を見て初めて全体像が掴める。碁盤の目のように整然と区切られた
町の中にあって、400m四方のこの町は一種のラビリンス、つまり迷路のような、
あたかも迷宮のような街なのだ。外は今にも冬の雨が降ってきそうな
どんよりと曇った寒々とした天気。そして、地下鉄「妙音通」駅に着いたところから
この物語は始まった。(案の定、駅の写真を撮るのを忘れてしまった)

その名も妙音通りという2車線の道路が名鉄名古屋本線の高架を過ぎた辺りに
「妙音通」駅はある。この病気になってから駅に着くとまず思うこと、
それはホームから地上までどうやって行くのかということ。今の自分には
非常に大事なことだし1番の問題がこれだ。そう、この駅は予想通り内回りのホームに
1ヶ所登リエスカレーターがあるだけ。あとは地上まで階段が2つあるだけで
エレベーターのエの字もない寂しい駅。そうは言っても初めて降りた駅は
何故かしら清々しい気持ちにさせてくれるから不思議だ。

地上に出てから私は首にデジタルカメラを下げ、手袋を外して私なりの準備を整えて
いざ出発。50mも歩かない内に少し入った所に大きなビルに寄り添うように
見慣れた赤いノボリの列があった。紛れもない稲荷神社の存在を示すサイン。
何はともあれ、こういう時は一期一会の心得で立ち寄ることにしている。チッポケな
神社とも呼べないような祠だが、名前は「嶋川稲荷」とある。由来書によると、
何でも太政大臣藤原師長が平清盛によって井戸田村へ流され仮の住まいとした所とある。
そんな所に神社が建てられたのだ。
名古屋巡礼記:61_e0041354_1103796.jpg
写真:「嶋川稲荷」と名前だけは立派なお稲荷さんだった。

後から判ったことだが山崎川に掛かる小橋に師長橋という名が付いているようだが、
当然見に行ってはいない。師長の身辺の世話をした村長の娘16歳のカイ。
やがてロマンが生まてという話も伝わっているが本題からは何の関係もないので
割愛させてもらった。妙音通から北に入った小道が迷宮の入口だった。
ゆるやかに登る道を200m程行くと「龍泉寺」という曹洞宗の寺がある。
今は何でもないお寺のようだが昔は大きなお寺であったことが佇まいから判る。

昔からここには湧き水があり、その名も「亀井水」と呼ばれていたようだ。
あの源頼朝が熱田大宮司の館で生まれた折、この亀井の湧水を産湯に使ったと
伝えられる由緒のある井戸だが、今は井戸も埋められ石碑だけ、
当時を忍ぶものは何もなかった。境内には平安時代の五輪塔も残っているというが
私には見つからなかった。私が見つけたのは「歯痛地蔵」という
撫でると歯の痛みが治まる歯医者泣かせのありがたい地蔵。
しかしこの地蔵、哀しいことに顔が半分ない。
名古屋巡礼記:61_e0041354_112309.jpg
写真:「歯痛地蔵」はこんな感じだった。

後から判ったことだが1945年5月17日、爆撃によって顔の半分を失い、
体もまっぷたつに割れ、そして龍泉寺の本堂も燃えてしまったという。
それでも地元の人達がそのお地蔵さんを見つけ出して、また元のように祀ってくれた。
私的にはもうひとつあった名もない地蔵の方が愛着が持てたんだが、
とにかく何とありがたいことか。何でもない家々の落ち着いた佇まいと
車の入ってこれない静けさ、この辺りは鎌倉時代の幹線道路であった
鎌倉街道の面影がよく残されているみたいだ。

龍泉寺の東にちょっとそこまでというように、お隣さん的な「最経寺」という日蓮宗の寺がある。
しかし普通の人にはここが寺院だとは思えないはず。それというのも建物の入口には
赤く塗られた鳥居がデ〜ンとあるし、最上稲荷大明神という赤いノボリが掲げてあるし、
隅にはお決まりの狐の石像まである。誰もが神社だと思ったここはしかし列記とした寺。
というのもここは明治時代に姿を消した神仏習合の祭祀形態が今でも残っている
不思議なお寺。間違うのも無理ない。
名古屋巡礼記:61_e0041354_1125199.jpg
写真:摩訶不思議な「最経寺」の全景。

そもそも、神仏習合の化身である最上稲荷は岡山県岡山市に本山を置き、
伏見稲荷、豊川稲荷と並んで日本三大稲荷といわれるという由緒正しき稲荷なのだ。
ちなみに本山も最上稲荷教総本山妙教寺という神仏習合の形態になっているという。
残りの豊川稲荷は曹洞宗妙厳寺で神仏習合なんだが伏見稲荷の方は
愛染寺が廃絶となって稲荷だけが残っているという。
このあたり拍手を打ってはいけないなど祈りの方法に違いがあるようだが、
素人の我々は思いのままにすればいいのだ。

もうひとつ龍泉寺の北にこのエリアで1番だという「長福寺」という寺がある。
といっても本堂は総コンクリート造りで味気ないことこのうえない。
唯一日本人離れした大きな石像がここが寺だと証明していた。しかし、ここには
境内の外れに小さな狛犬がポツンといる「秋葉神社」がある。
秋葉神社といえば火の神様である。戦争で井戸田山車が焼失してしまった
ことから判るように、この辺りは空襲による大火災で街のほとんどが燃えてしまった。
しかしこの神社だけは火災を免れたことからより信仰を集めるようになったという。
名古屋巡礼記:61_e0041354_1131021.jpg
写真:小さな狛犬がいる「秋葉神社」の全景。

ここからは迷宮の最深部へと道を進んでいく。とにかく道が細くて軽自動車1台が
やっと通れる感じの路。それに輪を掛けて道が直角に交差していない。
私と言えども1度来た所にまた来るなんていう芸当はできそうにない。
ただただ与えられた道を来た方の反対側に行くしかない。公道だと思っていたらその内、
人様の庭先に出てしまうような不思議な感覚が杖を突く手を急がせていた。
しばらく歩いて落ち着いてきたのか周りを見渡すゆとりがでてきた。
すると街のあちこちに野良猫がいる。それもふんぞり返った野良猫がいる。
名古屋巡礼記:61_e0041354_1132713.jpg
写真:野良猫黒が道路の真ん中で毛繕いをしていた。

黒い野良猫に道案内されながら付きつ離れつ行く内に様子の変な家に出くわした。
よく見ると長屋的な借家みたいだ。でも外観はよく判らない。何故ならその家の外側は
ツタのような植物が生い茂り、その上から造花とかチャチな人形とか、
はては招き猫みたいなガラクタが脈絡もなく上から下まで覆っていた。
私は時の経つのも忘れてシバシ見とれていた。近づいて恥ずかし気もなく中を
うかがってみたが、それがいったい何なのか、何のためにあるのかとうとう判らなかった。
名古屋巡礼記:61_e0041354_1135574.jpg
写真:見ていたらここが迷宮だと思えてきた。

冬の日の幻を見てしまったのだろうか。いつのまにか野良猫黒はいなくなっていた。
去り難い気持ちが私を包んだが、そして強く後ろ髪を引かれる思いだったが、
先を急がなくてはならない。時々遇う地元の人々の冷たい視線を浴びながら右に回ったり、
左に折れたりしながらとにかく先へと向かった。急に辺りが明るくなったような気がしたら
開けた通りに出た。それが迷宮の出口だった。2度と来ることのない所だが、
また行こうとしても行けない不思議な所だった。

気を取り直して200m程行った「地蔵寺」という寺に着いた。
周りは小さな町工場があちこちにあるような、一言でいうと下町。そんな町にあった寺だが、
その名の通り3種類の地蔵が人待ち気な顔をしてた。そこから東に向かって
なだらかな坂を登って行く頃、雨がシトシトと降ってきた。そんな天気もお構いなく
町工場と町工場の間の小道をひょいと覗くと、何と50m先に神社があった。
それが「白龍神社」だった。大きな木があるので判るという神社だった。
そこからしばらく行くとまた大きな木が見えた。それが「北川八幡宮」だった。
名古屋巡礼記:61_e0041354_1141845.jpg
写真:「白龍神社」の可愛い狐。

そして今回一番期待していた「津賀田神社」に着いた。ここは古墳の上に
建てられているようで周りからは一段高い所にあった。境内の半分は公園として
整備され木々が取り囲んで遠くから見ると森のように見える。幾重に重なる鳥居をくぐると
熱田神宮の本殿と同じような神明造りの大きな社殿が見えてくる。ここの歴史は古く、
創建は不明だが尾張志によると「本国帳に愛智郡従三位津賀田天神とある是也」
とある古社ということだ。しかしコンクリート製の大屋根には幻滅したぞ。
名古屋巡礼記:61_e0041354_1143711.jpg
写真:「津賀田神社」は遠目で見るとまずまずの神社だと思えてくるから不思議だ。

後から調べてみると境内には堀田の「浜神明社」から対の内1基を移された
珍しい斗帳寄進碑があるという。また南北朝の頃の書写大般若経300巻を所蔵していたが
戦災でほとんどを焼失したとHPにはあったが、当然行った時はそんなことサラサラ知らなくて
証拠となる写真1枚撮っていない。そうこうする内に雨もだんだん激しくなってきた。
雨の降る中「こんなことをしているのはバカか私ぐらいしかいないのか」
と思うようになってきた。思った瞬間、逃げるように帰ってきてしまった。
大人気ないぞオッサン!
by tomhana190 | 2006-02-27 11:10


<< 歴史のオマケ:36 リハビリ日記:95 >>