心の曼陀羅:7

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緑雨

寛政元年5月6日、江戸からの検分役が刈谷藩に到着したのは夕刻7時であった。
城では6時をもって総門全てを大太鼓の合図で閉めるのが決まりであったが、
この日はこの事のために遅くまで開門され、士卒2人が門脇を固めていた。
「たのもう」幕府役人は高声でそう言って来藩を知らせた。
すぐ前に士卒が現われた。士卒は一礼してその内のひとりが奥へと走った。
間もなく士卒と一緒に現われたのは藩の御蔵役2人であった。
蔵役はさっそく門のところへ来ると、既に幕府からの役人であることを承知し、
「御遠路、誠に御苦労様に御座りました」と挨拶した。
そして先に立って奥へと案内した。奥とは役客控えの棟であった。

長い道中、やっと目的地へと着いた2人はその棟へと入った。
今夜はここで長旅の疲れを休める手筈のようであった。
刈谷藩で年中行事というのはいろいろあったが、その中で特に重んじられたのが、
この江戸からの検分役の来藩であった。幕府としては諸国を個々に検分し、
それをまとめて各藩の動静、その他の実体をよく探るという大事なものであった。
この事の役格は御詰並という幕府の役で、頭は10万石以上の大名であった。
(寛政元年のこの時は阿部伊勢守、10万石であったという)
ただし、現地へは配下である侍2人が打ち揃って来藩するのが常であった。
この役は藩全体の検分と相談を受けるということであり、
故に藩では大変緊張すると同時に直に相談できるという便宜もあり、
実状を見て貰うことができるので潔く暖かく迎えるのが常であった。
だいたい刈谷藩では5月の初めであった。

翌朝、8畳の客間で朝食を済ませた2人のところへ、
伺ってきたのは上下姿の家老丹羽久左衛門であった。
彼はおもむろに威厳を正して2人の前へと進み出た。
2人も正座した。家老は深く礼をした後、
「当藩家老職、丹羽久左衛門に御座ります。
この度は当藩御検分の御役目、誠に御苦労様に御座りまする」と言った。
これに対し2人の内、年かさの方がうやうやしく
「江戸よりまかり参った御検分役名代、柳沢静馬と吉井甚左衛門に御座る。
およそ4日の予定なれば種々配慮の方、願い上げ奉る」と答えた。
双方の簡単ではあるが威厳ある挨拶が終わった後、
家老はおもむろに「当藩藩主、江戸表御出府のみぎりに御座いますれば、
拙者、丹羽久左衛門、万事御仕切りを拝命仕り入りますれば、
何とど御指図賜りますよう願い上げまする」といって一礼した。

この後、刈谷藩下の陽気のことなどを話し合った後、2人を案内し、評議所の方へとのぼり、
正式に江戸幕府からの伝達、刈谷藩からの陳情事項等を交わした。
家老の横には家老格ひとり、勘定方頭、普請方支配、右筆、馬廻組頭等6人の役が控えた。
藩からはまだ影響の残る先年の天明大飢饉の後の藩の一般情勢、
御年貢替金の江戸搬送の事、鉄砲新改造の事、それに罪人逃亡の際鉄砲使用の件の事、
隣接天領との普請の事などが具申され、御許可願が出された。
こうした検分に先立ってのことが終わった後、午後からは鉄砲鍛冶場の検分となった。
案内は鉄砲方頭ひとりと普役の2人が同行、馬2頭が幕府役人用としてあとに付いた。
一行はすぐ城下を流れる川沿いの道を下りながら、案内役からいろいろ説明を聞いた。
「天明大飢饉の後、殿の命によりまして胡桃の木約千本が各所へ植えられ、
それが早いのはもうこれ程になりました」と大きくなった木を指差していった。
役人は深くうなずき、その並木の方を見ながら先へ進んだ。

鍛冶場へと着いた。ここは半土蔵造りであった。防火壁でも軒の蹴り込みには
宝物図柄が仕込んであり、それが何か裕福な美しさを見せていた。
先触れがあったのか、既に当主が新しい仕事袴に羽織りという姿で
右側の正客迎えの門前に立ってうやうやしく迎えた。
辺りは美しく清掃され水まで打ってある。
でも家の奥ではふいごの音と共に花火が飛び散り、4〜5人の姿が忙しげであった。
鉄を打つ強い音も何処からともなく聞こえてくる。
門をくぐって内へと入った4人は座敷の前に作られた床机にまず腰を下ろした。
鉄砲処には普通の者は一切入ることは禁じられている。丁度この時だった。
ひどい雷鳴が突然頭上に轟いた。一同が息を止める程ひどい音である。
やがてパラパラと大粒の雨が辺りを叩き始めた。
これを見た家の女衆が蓑を抱えて表に飛び出し、それを2頭の馬の鞍へと被せた。
正名代である柳沢静馬は耳を澄ませた。
遠国の城下町で聞く大きな雷鳴、彼は床机に泰然と掛けたまま、一言呟いた。
「緑雨にしては、ひどいな」
彼は小笑いしながら大刀の柄に手を掛けたまま目を閉じ、轟をなお聞き続けた。
更に彼は鍛冶場の方へ開いた目を向け、
「刈谷藩もこれで今年は豊作であろう」と真面目な表情で微笑んだ。
そして「では」とさっそく検分しようと立上がった。

それからしばらくの後、雷雨も上がり、検分も終わって彼等は外へと出た。
2人はここからは案内はいらないということで2人だけで乗馬し皆と別れた。
これからの目的は自由に領内を馬で歩いて、
出会う農民などから一言ずつその声を聞くことであった。
こうした事も彼等の大切な役目のひとつであったのである。
逢妻川沿いにある市原稲荷神社の鎮守の森の遥か向こうから
ツバメの群れが2羽、3羽と目指す民家に向かって飛び廻っているようだった。
これを見た柳沢は「何処かで見たような景色だが、はて」と考え込んでいたのだが、
しばらくしてから「そうか、あれは去年の会津藩のことであったか」と
誰に言うでもなく呟いた。これからしばらくした後、雨上がりの爽快な夕暮れ時
田んぼ道を彼等の乗馬姿がトボトボと進んで行くのが眺見できた。
by tomhana190 | 2006-02-25 13:44


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