さて、それでは浴槽に入ってみよう。江戸時代の初期、一時的に流行したのは戸棚風呂。 起源は定かでないが蒸風呂と洗湯を兼ねた浴槽で、洗い場でまず引戸を開けて中に入り、 また引戸を閉める。つまり戸棚に隠れるような感じで、中の湯は一尺ほどしかない。 だから腰から下だけが湯に浸かるだけ。こういう風呂を戸棚風呂といったが、 引戸が板だから別名を板風呂ともいった。腰まで浸かるだけといっても、 引戸が閉めてあるので内部は蒸気でムンムンしていたという。 こうした風呂が生まれた理由は、ズバリ燃料不足と水不足の所為。 売り物の薪を買いもするが、これでは結構値がはって不経済。 そこで湯屋の下男、特に新入りの見習い中の下男は暇があると近所を回って 古材や古竹を集めさせられる。また、不足がちの水は洗い場の溝を伝って流れてくる汚水を もう一度ろ過して浴槽内に戻したりもした。今から考えると実に不潔なのだが、 それを気にするようでは当時、風呂好きといえなかったのである。 それが江戸時代中期以降になると、戸棚風呂はローカル専門の湯屋だけになったようだ。 それというのも客足が増えれば、引戸の開閉ごとに蒸気は外に逃げるようになり、 第一その都度開閉するのは面倒だ。それに閉めるのを忘れてそのまま出ていく者もいる。 そこで片方の引戸を固定し、反対側の引戸は下の方1mほどを開け放しにして、 ここをくぐって入るようにしたのがざくろ口の風呂だ。 ちなみに、関東より関西の方が入口は高かったという。 ざくろ口とは妙な名称だが、低い鴨居の下からかがんで入る、 つまり“かがみいる”ということは“鏡鋳る”で鏡磨きにはざくろの実の汁を用いたところから シャレ言葉として誕生したようだ。また湯屋へ入る姿が蛇に呑み込まれるようなので 蛇喰口(じゃくうぐち)といったのが訛ったとか、説はいろいろだ。このざくろ口には たいてい破風造りの屋根か鳥居が付いており、両側の柱は漆塗りで、 そこに金ピカの真鍮飾りが付いていた。板壁には贅沢なすかし彫りがあった。 それぞれの銭湯が競い合っていた。 そうした名残りが現代でも古い銭湯の入口は破風造りであり、 浴槽の背後にはアイデアは貧弱だが富士山の雄姿を描いているのだ。 このざくろ口の風呂も内部が暗いのは戸棚風呂と大差はない。 1尺四方の小窓があるだけで入口から差し込む光線も湯気のため奥まで届かず、 ざくろ口をくぐって浴槽に浸かる時は前を押さえ「田舎者でござい、冷物でござい、御免なさい」 といったり「お早い、お先に」とか「お静かに、おゆるりと」といって中に入っていったという。 人によっては「馬じゃ、馬じゃ」という者もいたという。これは人込みを行く時の 江戸っ子の常用語で、自らのことを馬とはせわしない江戸っ子らしくて何だか笑える。 中の人もここに入っているよという意味で相手に聞こえるように咳きばらいでもしないと、 頭をまともに踏み付けられたり、裸のままおんぶしてしまうこともあったらしい。 目が慣れてきてもせいぜい頭数をおぼろげに数えられる程度だったという。 この話の続きは次回にて。 戦後の典型的な部分と個性的な部分とが 混じりあった狛犬。これはこれで魅力的ではある。 (千種区蝮ヶ池八幡宮) 拝殿のすぐ横にちょこんと佇んでいた狛犬。 もうちょっと魅力的だといいんだけど、これではなあ…。 (中区大須白山神社) これは日本古来の狛犬なのか、 はたまた中国伝来の狛犬なのか、どっちなんだろう。 (中区闇之森八幡社) 古い古いと言ってもたかだか100年ちょっと。 他の狛犬達と比べたらひよっ子だな。 (中区桜天神社奉納:明治35年) 拝殿前にいた狛犬。別段感想もない。 (名東区日吉神社) 拝殿前にいた狛犬その2。以下同文。 (名東区高牟神社) 人目に付かないところに隠れるようにしてあった狛犬。 ナカナカのお顔だと拝見した。 (名東区貴船神社)
by TOMHANA190
| 2006-02-01 18:09
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人生の御負け
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