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歴史のオマケ:30

狛犬/13

こうした銭湯だから、汚物が浮いていても誰も気が付かないし、
ある時この浴槽の中で殺人事件があったが、ざくろ口から出てきた浴客が
自分の手拭いに血がにじんで赤くなっているのを見て、初めて大騒ぎになったこともあるらしい。
それなら浴槽の中に明かりを付けたらいいと思うのが現代人だが、
モウモウたる湯気のために明かりに注ぐ油は一向に役に立たないのだ。
また、暗いがために都合のいいこともあったようだ。

だいたい江戸という街は慢性的な水不足に悩んでいた。
町民達が多く住んでいた下町は家康入部後に埋め立てた土地だから井戸の水には
塩分が多く含まれていた。かといって、高台の土地に井戸を掘ろうとすれば
大変な経費を見込まなければならなかった。だから、大商人の家以外、一般武士の邸にすら
風呂の設備はなかった。一説によれば1800年代までは掘抜井戸に200両も掛かったという。
だから、たかが風呂の水とはいえなかったのだ。

それが大阪から新式の井戸掘削機を持ってきて従来の1/10のコストで井戸掘りができると、
ざくろ口の中の湯も増量し、また湯屋も軒並み増えてきた。
1808年、湯屋十組仲間が成立した時には男風呂141株、女風呂11株、男女両風呂371株、
合計523株を数えていた。この男女両風呂の中に、いわゆる入込湯(混浴)が多いのだ。
式亭三馬が書いた「浮世風呂」では男風呂から始まる。そ
れもようやく夜の明けそめた頃(今の時間で午前6時頃)。

左手に塩をのせ、右手で歯を磨きながら朝風呂を楽しみに来た男が「番頭、お〜い番頭、
いい加減に起きて風呂を開けねえか。ケツペタが火傷するほどお天とう様が上がっちまったぞ」
と戸を叩く。そこへ遊廓帰りの若者やらその友達、丁稚を連れたご隠居、
薮医者や身上を潰した道楽者なのがぞくぞくと登場する。
しかし、どうも堅気の者は見当たらない。江戸っ子は朝風呂が好きだといわれているが、
朝風呂はやはり律儀に働く者には縁遠いものなのだ。

朝風呂を待ちかねて戸を叩くのは、たいてい遊廓か博打場の帰りで朝帰りとあって
家に入れて貰えず一風呂浴びて時間を稼ごうとする輩か、家には帰ったものの
「湯へ行けと女房むしょうに汚がり」で何となく精気の抜けたような顔の男もいるし、
鼻の頭を油煙で黒くしているのは博打で徹夜した連中だ。そしてこの後、前夜来そびれた者、
小商売の店をかまえる者、近くの旅籠に泊まり続ける旅人や芸人、
下級武士や坊主などもかなり多かったみたいだ。この話の続きは次回にて。

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写真1
私の探し求めてる狛犬はあたかもこんな感じ。
威厳があって、どこかヒョウキン。温もりがある狛犬だ。
(西区上宿山神社
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写真2
これはどう考えてもいただけない。
狛犬とは名ばかりの変なシロモノだ。
(西区宗像神社
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写真3
これはもっといただけない。
オチャラケは顔だけにしてくれ。
(西区武島天神社
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写真4
市街地のど真ん中、民家と民家の間にあった小さな神社。
そこにいた狛犬も小さくて可愛かった。
(熱田区横田神社
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写真5
何をさて置き、前足を見てもらいたい。
何のためにこうしているのか、不思議だ。
(熱田区円通寺
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写真6
明治から大正にかけての狛犬の典型を見る思いがする。
この時代、こういう狛犬が多かった。
(中村区牧野神明社
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写真7
これも牧野神明社と同様な狛犬。
どこからどう見ても似ている。
(中村区椿神社
by tomhana190 | 2010-03-13 07:54


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