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心の曼陀羅:6

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夏祭り

城主は今しがた、藩邸の二の間へと出て津田山城守との面接に備えた。
山城守は帰国の途中、犬山藩へ立ち寄ったのである。
藩主は今年ちょうど40歳。山城守よりも3歳上であった。
見事に結い上げた大名髷に白い根くぐりが鮮やかである。
衣も真っ白の衣服に、薄水色に金襴の羽織りが気品に満ちている。
部屋には香の煙がゆるやかに流れていた。
明るい大きな室内にはこれという装飾はなかったが、床の間に狩野派の大軸が掛かっており、
大きな夏布団と豪華な脇息が2つ置かれていた。香炉は黄金のもののようであった。
間もなく藩主はその大室に現われ、上下に置かれた座布団にゆっくり座して控えた。
そして軽く咳き払いをした。

山城守は供を従えて藩主の待つ二の間へと歩みを進めてきた。
この大廊下から広く眺められる老赤松の林が美しい。
山城守はやがて犬山藩案内役の先導で間もなくその室へと入った。
むろん山城守だけが部屋に入り、他の者は大廊下に正座して控えた。
山城守の訪問挨拶がそれから始まり、他の者はその挨拶が終わるとすぐ他室へ下がった。
一同が下がった後、部屋の大唐紙が奥女中によって左右に開かれ、
外の庭両面に眺められるようにされた。全く明るく開放された大部屋となった。
その時、はじめて藩主の夫人がその部屋に近づいた。

藩主夫人藤照は錦糸で胡蝶を大きく縫い取った夏の打ち掛けを静かにさばきながら、
2人の居る間へと入ってきた。そして傍に付いてきた侍女2人に無言で
目配せするようにうなずいた。これまででよい、下がれという合図であった。
2人の侍女が部屋口から畏まって恭しく下がっていった。
そして、彼女達は次の間の大廊下の決められた位置にきちんと正座して侍した。
二の間へと入った藩主の室、藤照は来客である山城守に正座して
丁寧に頭を下げて来訪を喜ぶ挨拶をした。
夫人の入室で辺りが急に明るくなったように感じられた。
山城守は水色、藩主は白、藤照は錦地、いずれも高雅な雰囲気である。
夫人は細かい錦地に入った懐剣を胸高く差し込んでおり、
その頭が外明かりを受けて時折、にぶく美しく光った。
この3者は既に顔見知りの間であるので、格別改まった言葉のやりとりはなく、
すぐに3者がゆるやかな笑顔となってゆったりとした対話となる。

「では、略儀でございますが、昨日宇治より新茶が到来つかまつりましたので、
召してくだされませ」小さな銀扇を前にして室藤照は低頭して、そう言上した。
「それは、それは、かたじけない」
津田山城守はいとも晴れやかに所望の喜びを表情にみせた。
夫人はやがて、わずかに身を後ろにずらして軽く手を打った。
夫人は白く美しい手をもう一度打った。すると次の間からひとりの女中が現われて低頭し、
その意を承った。そして間を置かぬ間に、また別のひとりの上女中が
大きな黒いお盆にのった菓子皿を目頭高く捧げ持って入ってきた。
それを奥方の方に静かに差し渡した。夫人はそれを静かに受け取って、
ゆっくりと手で持ち替え、山城守の前へとおもむろに差し置いた。
いとも優しい眼差しでそれを見守っている藩主、菓子皿には時の銘菓、
いわゆるアヤメや武者兜などの、そのまま色を付けた小さな京菓子が
綺麗に並べられている。夫人が改めて低頭した。
山城守も頭を下げてそれに応えて、おもむろに付けられた朱色の箸で
その銘菓をひとつ摘まみ上げ、口中へとふくめた。
そして無表情のまま、わずかに唇だけを動かして口中の愉しみを覚えているようであった。
それから今度は山城守の手によって菓子皿が藩主の前へと差し置かれた。
お菓子から見事な間を置いて、紫のふくさの上にのせられた茶碗が
上女中の手に高く運ばれてきた。

華麗なる打ち掛けを室いっぱいに広げている奥方は改めて微笑んで
山城守のもてなしを続けた。山城守はゆっくりと、艶やかな流儀の内に茶を味わった後、
茶器の賛美をおもむろに聞かせて、なお丁寧に器を返して見続けた。
そして最後に「逸品」と小さく言ってわずかに首を左右に振り、微笑んで正式にその器を返した。
全く静寂無音の中に、わずかに着飾った奥方藤照の方の衣重の息が伝わってくるようであった。
この部屋ではこの後、いろいろな書画の鑑賞をはじめとして、藩主の山城守へのもてなしがあり、
続いて早々に夕宴が次の三の間で始まる事になっていた。
遥か町筋を通してゆるやかな山並を眺めることのできる藩邸も初夏初めの
物憂い様な陽気の中に、やがて陽影がひろがり、まもなく夕暮れの気配であった。
しかし、近くの針綱神社を賑わす大祭の人いきれがここまで聞こえてくることはなかった。
by tomhana190 | 2010-03-13 07:36


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