人生長く生きていると思わぬところで思わぬ出来事に遭遇することがある。 だいたいこういう時は余りのことに驚かされつつも、人生の機微を大いに味わうこととなる。 東区筒井町に「物部神社」という神社がある。 と、言ってもこんな神社(桜通が中央線を越すちょっと手前にある)は誰も知らないはず。 と、言うのも何処にでもあるような見るからにチッポケな神社だからだ。 しかしこの神社、私にとっては思い出深い神社でもある。 と、言うのも今を去ること25年前の春爛漫の夜桜に当てられたでもないのだろうが、 その頃はまだ他人だったM美に人生で一番大切な約束事を告げた場所でもあったのだ。 どういう言葉で伝えたのかは私のこと故、今ではすっかり忘れてしまったが、 その大事な約束事は一応今でもかろうじて守られている。 と、いう訳で感慨も新たにシハン世紀ぶりにその現場を訪れてみた。 思った以上に「こんなに小さな神社だったのか」というのが第一感。 境内たるや熱田神宮の何百分の1、若宮八幡社の何十分の1、言ってみれば雀の涙だ。 そんなワタクシゴトがなかったらカタチ通りに一応拝殿でお参りを済ませて 直ぐさま次へと向かうのだが、その時は何故か心が穏やかだったのか、 「ゆっくり見てみようかな」という気持ちになっていた。 と、言っても「こんな小さな神社では見るものがないな」と諦めつつも鳥居をくぐった。 くぐった先には社務所が左手に、前では結ぶ木もないのにお神籤が売られていた。 弱小神社らしいチープな値段設定(お神籤100円、御神酒50円)だ。 右手にはまたしても弱小神社の常套手段である同じ旗いっぱいの暖簾攻撃。 ここではまだ、拝殿おろか本殿すらも見えない。 歩いていくと突然、鳥居からの参道に対して鋭角的に拝殿前に出くわした。 精神的に落ち着けない配置に思わず「どうなっているんだ」と声を荒げたくなっていた。 この拝殿が見捨てられたお堂のような感じで、賽銭箱も絵に書いたようなアリサマ。 何より拝殿前にいた狛犬が見飽きた昭和時代の量産体勢で作られたシロモノ。 「あ〜あ、これじゃだめだ」という溜息が第二感。 ここにきて広くもない境内を見渡すと、思いのほか狛犬がいることに気が付いた。 拝殿横の小さな祠の前にもいる。十葉一絡げの弊社の前にもいる。 よく見ると百度石が新旧合わせて2本も立っていた。 こんな小さなところだというのに手水舎も立派な龍の蛇口も設置されているではないか。 そう思った頃には歴史捜索隊の五感が全開状態のワクワクだった。 いわば歴史的なコモノ発見にデジカメ片手に駆けずり回っていた。 私が見つけた最後のオタカラは「物部白竜社」という弊社の中にあった。 と、言っても入口は厳重に鍵が掛けてあったので中には入れなかったが、 すき間から覗くと拝殿の前に小さな置き物タイプの狛犬が2体鎮座していたし、 その横の灯籠も見るからに古さを醸し出していた。 杭と杭のスキマから中をよくよく見ると入口の前の土間にも 拝殿を見上げるように置かれた壊れ掛けの狛犬が何故か1体ポツンといた。 探索結果から、この神社には狛犬が7種13体。百度石が2種類。 それに2本の神木があった。灯籠のたぐいははっきりしないものの年代物も結構ある感じ。 大は小を兼ねるというが神社はそういうことにはならないみたい。 大きいからといって熱田神宮には1体の狛犬も存在しない。 近くに寄ったら、騙されたと思って一度境内の中を覗いてもらいたい。 こんな小さな神社でもヒトトキ厳かな気分にさせてくれるから。 その内、至れり尽くせりという場末の飲み屋の言葉がピッタリな神社だということが判るから。 ちなみに、お参りして御利益があるかどうかは感知していないので 個人個人でしっかり確かめるようお願いする。 物部神社:名古屋市東区筒井に位置する神社。 物部氏の祖・宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)が祭神。物部氏は大和朝廷で 軍事・刑罰を担当した豪族。尾張や美濃は古来より物部氏にゆかりの深い土地であり、 多くの物部神社が存在していたが、現在その名を留めているのは尾張では ここだけになっている。神武天皇がこの地を平定した時に見つけた大石を 国の鎮めとされたと伝えられている。
by tomhana190
| 2010-03-09 08:09
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人生の御負け
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