私の読書感想:12

日本には戦争のプロはいない
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戦争書籍10:『ルソン戦記
◆川合武郎著 ◆昭和62年発行 ◆定価1300円

この本の最後はこんな文章で終わっていた。曰く「昭和20年8月31日、この日我々は山中にある地点で兵団司令部と連絡を取り合うことにしていた。地図も持たずに初めての土地で、しかも山中である。当時の我々の方向感覚は動物的だったのだろう。私は8月31日を目指して出発した。昼間は危ないので夜間に歩いた。百鬼夜行というが猿だか鳥だか判らない得体の知れない叫び声が谷から谷へ突き抜けていった。目の前の木立が人影に見えて思わず足がすくんだ。夕暮れから歩き出して夜半ちかくになった頃、ポツンと雨が頬にあたった。木立を通して見る夜空は漆黒であった。風もなく飽和点に達した水蒸気が一面に立ち篭めている感じだった。

「雨だな」「そうらしいですな」余分なことはしゃべりたくない。「しばらく休もうか」疲れた体を寄せ合うような木立もなければ小屋もない。どこにいても疲れ方は同じである。私は周囲に比べて少しでも高い場所を探した。南方のスコールは地上に流れをつくるからだ。その時、私が持っていたのは1m四方ぐらいの携帯天幕1枚だった。私は頭からそれをスッポリかぶって仰向けになった。もちろん足の方は外にはみ出していた。「ボッツ、ボッツ」携帯天幕を叩く雨の音が大きく聞こえた。始めはポツンポツンと聞こえていたのが次第にバタバタと聞こえるようになった。むき出しになった足が脚絆を通して濡れてきた。時々天幕を下から突き上げてやらないと何処かに水が溜まってしまう。

たった1枚の天幕が次第に重たく感じられた。顔にベッタリかぶさっている天幕で息苦しくなってきた。眠れるはずがない。私はイポで戦って以来のことを考え続けていた。多くの部下を失ってしまった。私の体力も既に限界を越えている。もう失うものは何もない。力は全て出し付くした。後は神が私の生命を召されるだけである。この達観が私の目を閉じさせた。8月31日、私は予定通り定められた地点に到着した。そして戦争が終わったことを知らされた。」とある。この本と次の本は何にも変わらない。2つあって1つの主題で書かれている。それは戦争ほど人間の本質を卑しめるものはないということ。これに尽きる。

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戦争書籍11:『ルソンの砲弾
◆川合武郎著 ◆平成11年発行光人社NF文庫 ◆定価700円

この本にこんな記述がある。曰く「昭和20年3月12日、振武集団長はみずから第一線に立ち、絶対に取られたくない振武山攻防の戦闘指導にあたっていた。せっかく企画した第2次反撃もその効なく、特に小林兵団に関してはいささかの好転もなく、逆に力づくで押し寄せてくる米軍攻撃の前に22日夜、集団指令部は振武山を引き払い、そこから東方8kmの巌山に後退することになった。その興奮状態のところへ福本大尉は到着した。小林高級参謀は福本大尉の顔を見るや御苦労だったの一言もなく、いきなり百雷が一時に落ちてきた。「本丸が危ないという時に河嶋兵団は何をしているんだ。砲兵の1コ中隊ぐらい応援に出すのが当然じゃないか」と小林参謀は猛り狂ったようにわめき散らした。「私も軍人になってから上官に叱られたことは何回かあったが、あんな屈辱的な叱られ方をしたのは初めてだ」福本氏は後述する。口答えすら許されない軍人社会において無言で立っている福本大尉を小林参謀はますます憎らしくなった。

「貴様、君の御馬前で討ち死にするということを忘れたかッ」吐き捨てるように言う。イポ陣地の正面にも敵の強圧がかかりはじめた今日、河嶋兵団が砲兵1コ中隊を他に出すか出さないかの問題は河嶋兵団長に対して要請すべき重みのある問題である。一歩譲っても砲兵連隊長に話を付けるべき問題である。それを使者として派遣された砲兵の一中隊長に言いたい放題言って、自らの溜飲を下げる。福本大尉は理不尽な叱責を聞き流しながら上ってきたイポ川の状況を思い起こした。「いや参謀殿、ナポレオンでも越せなかった山があります。人間だから上がってこれたのであって車輪の付いた重い火砲をしかも馬で引っ張って上がってくるということは到底不可能であります」福本大尉はブン殴られてもいいと思って発言した。「つべこべ言うな。日本軍に不可能はない」参謀は聞く耳を持っていなかった。」とある。

また「河嶋兵団の兵力数は戦闘開始前15000名だったのが20年3月上旬には9500名、5月中旬には4000名になり、終戦時には750名にも減っていた。私はこのおびただしい人員の消耗は3つの敵によってもたらされたと考えている。まず第1に敵兵である。米軍、米比軍、最後には武装した住民がイポ陣地を脱出してきた日本軍を待ち伏せ攻撃し、あるいは積極的にパトロール攻撃を行なってきた。しかし、敵は日本軍掃討の米軍、米比軍だけではなかった。同じ日本軍が油断すると敵になった。飢えというものは人間の理性をも狂わせた。第2の敵は飢えである。病人を殺して肉をそいで食べているところを通りかかった将校が見つけて射殺したという地獄さながらの話も伝わってきたが真相を確かめた話ではない。夜、腐乱死体の横に寝ていて、それにわいた蛆虫を食べに寄って来る猿を撃って、その肉を喰った話は実話である。

第3の敵は疾病である。これは飢餓と密接な関係にある。まず襲ってくるのは脚気だった。ついでマラリア、デング熱、赤痢、いずれの病気も食糧があれば死なずにすんだ病気である。脚気というのは重病になると足が腫れてくる。そして生きながらにして腐ってくる。すなわち壊死である。栄養失調も第3の敵に包括されるべきだろう。疾病はみな因果関係で結びつき、結局、時間とともに人を死に追いやる。戦傷と異なり疼痛に苦しむということがなく、終わりは意識不明のまま迎えたというのが、救いといえば唯一の救いだった。」とある。「自他共に戦争のプロを自認する参謀がこんなことを信じているようではお先真っ暗だ」と他人事のようには言ってられない。何故ならそのお先真っ暗なヤツが戦場で生きるか死ぬかの運命を全て握ってるから始末が悪い。
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# by tomhana190 | 2010-03-13 09:29