私の読書感想:10

赤紙を知ってますか?
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戦争書籍6:『赤紙』男たちはこうして競戦場に送られた
◆小沢眞人+NHK取材班 ◆1997年発行 ◆定価2,200円

戦前、日本男子は20歳になると全員徴兵検査を受けた。日本の徴兵制とは、まず市町村の各役場が徴兵検査を受ける予定の若者の名簿を事前に作成して最寄りの軍に提出することから始められた。要は各役場にあった兵事係が戸籍簿に基づいて対象となる徴兵適齢者の名簿を個人ごとに作成した。この中には故郷を離れて東京、大阪などで暮らす者も含まれた。そのような者については職場や市町村に通達してその所在を確認した。そして兵事係は検査の1年前から戸籍簿を確認し、該当者を抽出した。この際、大学生や陸海軍志願兵を除外し、6年以上の禁固刑や懲役に処せられた犯罪人も対象リストから外した。犯罪者を対象者から外すのは異論があるかも知れないが当時の軍の考えは違っていた。軍に入隊できる者は素行も健康状態も良く、国民としての義務を積極的に果たす「選ばれた国民」という意味合いが強かったという。

徴兵検査の対象に選ばれた者について兵事係は「荘丁名簿」を作成し軍に提出した。そして荘丁名簿に基づいて徴兵検査は全国一斉に毎年6月(その後2月に変更)に実施された。検査では身長体重を計り、軍医の診察を受けさせた。そして健康状態によって甲乙丙丁戊の5段階に振り分けられた。甲は兵士に適任、乙丙は甲に準じ、丁は不合格、戊は判断を保留というものであった。甲種合格は本人はもちろん家族や村にとっても名誉とされた。検査の最後に軍人である徴兵官から「○○、甲種合格」と1人1人に言い渡され、それを大声で復唱しなければならなかった。徴兵検査そのものは当時成人式のようなものに受け止められており、1人前の大人の仲間入りを果たす儀礼ののようなものだったという。戦争がない時や検査の始まって間もない頃は甲種合格の中から抽選で一部の者が軍隊に入り、それ以外は等分の間入隊を免除された。

徴兵制度が導入された明治時代は徴兵検査を受けた約30人に1人の割合でしか軍隊には入隊していなかった。というのも当時は開業医や外国留学生、師範学校や中学以上の卒業生のほか、家督を継ぐ長男など免除の特権が数多くの者に与えられていた(当時、国民と軍との関係は昭和の時代ほどには密接なものではなく、兵役に服くする人は一握りでしかなかった)。そのために徴兵逃れの養子縁組も頻繁に行なわれたという。それ以後、満州事変の頃までは5〜6人に1人の割合でほぼ一定していた。しかし、日中戦争開始後から急激に増え、以後徴集率は上昇する一方。大平洋戦争末期には何と70%にもなっていた。実際この時期、甲種合格の基準も大幅に緩められた。視力や体力などでこれまで乙種合格とされたような人も甲種合格として採用された。また、乙種合格者でも現役兵に採用されることが増えていった。

徴兵検査で振り分けられた若者達は憲法の定める兵役義務(現役兵、予備役、後備役、補充兵、国民兵役など様々なカタチに分離され満40歳まで、終戦間際には45歳まで)をそれぞれの区分けに従がって務めることとなった。甲種合格で現役兵を終えたばかりの予備役(27歳4ヶ月まで)が軍隊にとって最も貴重な戦力であった。反対に乙、丙にまわされた第2国民兵役者は戦力としての期待は低かった。そうして軍は戦争が始まると優先順位に従って次々と兵役対象者である一般国民を赤紙を使って召集していった。

日本の軍隊は下は二等兵から上は大将まで17種類(元帥は元々あった位ではなく名誉職であった)に別れていた。その軍隊を構成する兵士の種類は職業軍人(士官学校を卒業したもの)・志願兵(一般の国民から希望して入隊する者で20歳の徴兵検査以前の者も対象)と兵役の義務を負った一般の国民の兵士からなっていた。また、国民の中から選ばれて兵士になった人達は2種類に区分された。徴兵検査の結果入隊する現役兵(20〜22歳の若者)と赤紙によって召集された召集兵(20から40歳までの兵役を務める間、年齢を選ばなかった)である。戦争がない時、軍隊は主に職業軍人と現役兵を中心に構成される。しかし一旦戦争が始まると人員の不足分を赤紙を発行することでまかなっていた。また、簡単に兵士を集められるので日本の軍隊では無理な戦闘や無駄な戦闘が多くその分兵士の消耗率高かったという。

国民を兵士として戦場に送るため、国中を挙げて新たな体制を作ることは20世紀に入った欧米諸国の共通した流れであり、日本もその流れに同調したに過ぎない。だから赤紙は日本独特のものではない。今日世界は「市民戦争」の時代に入ったといわれている。1945年を境に大規模な国家同士の全面戦争は姿を消し、内戦、テロといった小規模な軍事衝突が多発している。運よくまだ第3次世界大戦は起きていないが、戦争は形を変えてより日常的なものになっている。現在の日本は自衛隊という世界的にも有数な軍隊をもっている。そして実際に戦争となれば、兵士をどう調達し訓練するのか、武器や資材の生産体制はどうするのかという極めて現実的な問題に直面する。その時、我が自衛隊は、そして日本国政府は過去に起こしてきた同じ轍をまた踏むのであろうか。私個人としては52歳という年齢からも障害手帳をもらっている身からしても今後召集されることはないと思う。しかし、平和憲法を持つ日本であっても実質的に軍隊が存在している以上、今の若い人達には関係ないと言い切れない、戦争に否応なく巻き込まれてしまう現実が絶対ないとは言い切れないような気がする。その時あなたはどうする?逃げますか?逃げれますか?

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戦争書籍7:『日本の軍隊
◆飯塚浩二著 ◆昭和43年発行 ◆定価790円

次に引用する記録は一初年兵が入営以来秘かに便所に隠れて書き綴った日記からのものである。そこには「午後は少し休んで又演習、教官の顔色が違う。助教助手の面相も凄くなっている。事毎に怒る。殴る。これではとても演習どころではない。整列と同時に兵器を倒した奴がいて、教官に10発のピンタで総員は班長のピンタ、次にY上等兵からまたピンタ。何のことはない、コッチを向いてもアッチを向いても殴られ通しなり、情けなくなる」「使役中に2班の知らぬ上等兵にピンタを取られたり、動作の大きいことなり」「昨日は内務検査があり、この日記帳が見つかり内容まで発見されそうになった(細かい字で判らぬように書いてあったので逃れた)。慌てて昨日は日記を書かずにしまった。教官は精神問題がもっとも重点なのでこの通えいの日記では危ないから、もう近い内に家へ送り返してしまわなければならぬ。毎日少量の飯にて空腹の限りを尽している。毎日ケンカ腰の班長の前で小さくなっているのは全く辛い」こんな文章が延々と続く。しかしこれは空想の世界の日記ではない。日本に現実にあった世界なのだ。

この本、少し古い本なので記述が合わなくなっているところが多々あった。しかし2.戦時中の一初年兵の日記というところで思わぬことが書いてあった。曰く「我が国の旧軍隊においでピラミッドの一番下積みに置かれた初年兵の惨めさはひとつの伝説になっていた。抵抗の許されない立場に縛り付けられている者をしばしば単なる気紛れや腹いせとしか考えようもない状況で殴ったり蹴ったり、精神的屈辱を加えたりするのだから、どう見ても男らしい振舞いとは思えぬのだが、それにもかかわらず軍隊というものはそうしたところだとして怪しまれもせずにいたのが、我が国の現状であったようである。人間性の弱点といっただけでは済まされぬものがそこにあるだろうし、そのような有り様を最後まで容認し続けた旧日本社会の精神的構造にも問題はあった」と。それに日本の軍隊の特徴としてこんなことを指摘している。曰く「旧日本軍隊は兵士からは無論のこと昇降からも批判精神らしきものはその芽生えの段階で徹底的に抜き取ってしまうという努力において他に例を見ないほど周到であった。すなわち、軍学校の教育においては「批判的な点を徹底的に叩く、それが非常に大きい要素をなしていた」といわれ、兵の教育においても「究極の目的は要するに軍隊というものは上の人の言う通りにならなければいけないものである。批判的であるとか、反抗的であるということはいけないのだ。何でもかんでも絶対服従だという観念を植え付ける」ということに重きをなしていた。批判的精神に対しそのように敵意を燃やし、その前途にかくも懸念であったのは旧日本軍隊を支える思想原理が批判的精神の前には全く無力であったに他ならない。軍の首脳部はいち早くそのことを自覚していたがゆえに、そのように周到な対策を講じたのである。しかし、旧日本軍隊がその思想面においてそのように無力であったということは取りもなおさず、現代の日本社会を支える思想原理もまた批判的精神の前には全く無力であり、無力であるがゆえにそれを敵視するするものであった、ということに他ならない」と。旧日本軍隊から今の時代の問題点が浮かび上がってくる。
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# by tomhana190 | 2010-03-13 09:34