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達人への道:12

地下鉄発掘:名城線「茶屋ヶ坂」駅界隈

昔ここら辺りを大幸川という川が流れていたという。
実はこの川、農地を潤した列記とした川だったのだが、名古屋の街の都市化に伴って
農業用水としての役目を終え、現在は大部分が下水道の幹線に取って替わって、
川としての姿を留めていない、言わば隠れ里ならぬ隠れ川なのだ。
その大幸川の本流の最上流部は現在の千種区希望ヶ丘周辺だったといわれている。
平和公園の北西辺りから流れ出した大幸川はしばらく姿を見せず、
次に姿を見せるのはそこから少し下がった茶屋ヶ坂池という溜池だった。
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池は見えないが、池のある茶屋ヶ坂公園の写真。

余談だが、今ある「茶屋ヶ坂」という地名は昔、
山口街道(古出来より東進して瀬戸へ通じた通称名古屋道ともいった)が通る坂に
一軒の茶屋が店を出していた(当然今は影も形もない)。
往来する人々にお茶を出したり名物の饅頭を出したことから繁昌し、
いつしか地名にもなったようだ。
果たしてここでどんな餅が旅人に出されていたのか興味は尽きないが、
それはそれ又の機会に譲るとして、
地名ついでに一般的に言うと台地に特徴的な地名は上野だという。
例えば東京の本郷台地では高台のことを「上野」
下の低地部を「下谷」と呼んでいたことからもうかがえる。
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まあまあ傾斜があるので坂だと言っても恥ずかしくはない。

名古屋における上野という地名は何処にあるのかというと、
名古屋台地の北の端に「鍋屋上野」としてちゃんと残っている。
ちなみにこの鍋屋という地名は戦国時代から江戸時代にかけて
尾張の鋳物師(いもじ)達を支配した水野太郎左衛門という人物が
以前上野村のこの地に住み、晩年再びこの地に移り住んだことから、
このような名が付けられたといわれている。
江戸時代には鍋屋上野村という名前で『尾張徇行記』に
山口街道の通り道にあったことが見てとれる。
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こんな階段も付いて増々坂っぽい。

◆鍋屋上野浄水場:浄水場へは年に一度の浄水場開放日(6月第1日曜日)にしか
中に入れない。広大な貯水池が広がる手前に、ぽつんと建っている煉瓦造りの建物が
鍋屋上野浄水場第一ポンプ場。1914年、英国から直輸入した赤レンガ造りの建物で、
まさに名古屋市市政資料館を小さくしたような感じ。誰の設計になるものか
はっきりしないが、ヨーロッパ古典期の建築様式を基調とし一部にバロック様式を
取り入れるなど意匠をこらした建物で、近代水道百選と名古屋市都市景観重要建築物にも
選ばれているそうだ。余談だが、私めが小学低学年の頃、社会見学で
訪れたはずなのに何にも覚えていなかった。
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この赤レンガ造りの建物が名古屋市都市景観重要建築物という長い肩書きの建物。

実は大幸川はこの本流の少し南側にも1本の支流が流れていた。
茶屋ヶ坂池から約200m西に児童公園でもある「弁天公園」という名前の公園がある。
そもそも弁財天は水にまつわる場所に祀られることが多いのだが、
案の定ここもかつては弁天池という池があった。今でこそ池の名残りも祠もなくて、
一見するとただの児童公園か年寄り達のたまり場のような場所に見受けられるのだが、
公園の一角に残る石畳や樹齢のありそうな松林が在りし日を物語っている。
この弁天池を源とする支流は西に流れて「上野天満宮」の北を通った辺りで
向きを北西に変え、名古屋台地を下っていったようだ。
またこの支流は上野天満宮の近くで南の赤坂公園から来る支流とも合流していた。
この辺りの地形をよく見ると、この川が崖を掘り下げた地形が今でも残っており、
そこには今でも谷口という地名が残されている。
更にこの西にも1本支流があり、地蔵川と名づけられていた。
この川は今の萱場交差点辺りを下って大幸川に合流していた。
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赤坂公園から来た支流は今、天満緑道に代わっている。

上野天満宮は名古屋三大天満宮(他の2つは山田天満宮と桜天神社)のひとつで、
名古屋の鬼門を守る大事な神社と言われているが、
上野天満宮と山田天満宮は名古屋の北部にあって、桜天神社は名古屋の中心にある。
ということは「北以外から来た鬼はどうなっちゃうの」と、そんな疑問が湧いてくる。
今より鬼が身近だった当時、こんな手抜かりする訳がない。
由来書きには人望もあって歴史もあるというようないいことばっかり書いてあるけど、
要は裏から手を回して上手いことやったとしか思えないんだな。
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上野天満宮の拝殿はこんなにケバケバなのだ。

そう思うと、ケバケバしい拝殿も、金に糸目を付けない社務所も
何か判るような気がした。しかし、世の中悪いことばっかりが続くのではなく、
いいこともチョッピリとはあるみたい。
この場合、ココ上野天満宮から東に約500m行ったところに、
何故か「上野天満宮別宮」というみすぼらしい神社がある。
この神社、拝殿も今にも崩れる感じでお粗末この上ないし、
開かない社務所に境内も狭くて石がゴロゴロしてこれまたお粗末。
しかし、私は知っている。
木漏れ陽に映える狛犬が何ともいい雰囲気を醸し出していることを。
晴れた日に一度、訪れることをお薦めする。
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木漏れ陽に映える狛犬がコレ。

ここらには地図にも載っていないような小さな祠が点在しているところでもある。
駅から一番近いところにあるのが「三十番神」という変わった名前の祠。
他には「金森明神」とか「金龍大神」というのもある。
こうした地元の人にも知られていないような名もない祠が残っているということは、
代々祠を守ってきた人々が絶対いたはず。
しかし時代が代わって、こうした人達も年老いていなくなろうとしている。
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「金龍大神」は鬱蒼と茂った鎮守の森に守られていた。

達人への道:12_e0041354_7131441.jpg【駅での一言】
地下鉄「茶屋ヶ坂」駅にはホームから改札口までエスカレーターはもちろん、エレベーターもちゃんと設置されている。しかも、地上に出る入口にも改札口から地上までちゃんとエスカレーターが設置されているし、エレベーターも1基ある。私から言わせると至れり尽せりということになる。一言苦言を呈するなら「設備はいい。文句なくいい。しかし、それを使う住民に、特にオバサン達に問題がある」と言っておこうか。(写真は2つある出入口のひとつ。斬新というか変な建造物だった)
by tomhana190 | 2006-05-31 07:19


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