GOB備忘録:35

ライブと私の備忘録[24]


あれは今から30年以上も前の話。
その頃出会った研チャンは逢った時から頼もしいお兄さんという感じだった。
ハンチングを小意気にかぶり、まさに大人の世界を謳歌してた。
今回の主人公であるティム・ハーディンの存在を教えてくれたのはそんな研チャンだった。
ロックでもない、フォークとも違う、ジャズに近いかなと思ったが、ブルースだとも思った。
正直なところ、初めて聞いた時はとってもファジーで不思議な人だと感じたし、
それに取っ付きにくそうな人だと思った。

それから30年以上も経った今でも、
私とか研チャンにとって、彼の歌は不思議なオーラがあるみたいで、
5〜6年ごとに決まって彼の歌を歌いたいという思いがフツフツと沸いてきた。
たぶん研チャンもそうに違いない。
しかし、そんな思いとは裏腹に今まで1曲もライブで彼の歌を歌わなかったし、
たぶんこれからも実現しないだろうと思う。
(「Bird on a wire」という曲はコードも取ったし、練習も何度もしたが、
いざ「今度この曲、やろうかな」とはならなかった)
何故なら、彼の歌は病的なほど贅肉が取れて研ぎすまされていて、
あたかも切れるナイフのように触れる者をスパッと切り裂く力を秘めていたから。
「近寄りたいけど、近寄れない」というのが彼を語る時のキーワードかもしれない。
「ティム・ハーディン」で検索すると約27,800件もあった。
この数字が直接彼の知名度、人気を表すかどうかは判らないが。
とにかく今でも注目を集めているシンガーというのは確かだ。

ティム・ハーディン[Tim Hurdin]

詳しい彼の経歴の載ったHPがあったのでそれを抜粋することにした。曰く「ティム・ハーディンは1941年11月23日オレゴン州のユージーンという街で生まれた。父親はジャズ・ミュージシャン、母親はクラシックのミュージシャンだった。海軍での兵役についていた彼は除隊と同時に故郷を離れ東海岸へと移住し、ニューヨークのグリニッチ・ビレッジやボストンでフォーク・シンガーとしての活動を開始した。時は60年代前半、学生達を中心にフォークは一大ブームを迎え、街中のカフェで多くのフォーク・ミュージシャンたちがそれぞれの思いを歌に込めていた。その中にはボブ・ディランやジョーン・バエズらのシンガー達がいたが、60年も半ばになると70年代のシンガー・ソングライター・ブームの主役となる大物達も、この街にやって来始める。ニューヨークの街はそんな「大人向けのロック」を育てる揺りかごの役目を果たして行くことになる訳だが、その先駆けのひとりがティム・ハーディンだった。

こうしてニューヨークの街で歌い始めたティムは66年ファースト・アルバム「ティム・ハーディン1」を、67年「ティム・ハーディン2」を続けて発表した。そして、このアルバムの中の「If I Were A Carpenter」はボビー・ダーリンによってカバーされ大ヒットした。この後も、彼の曲は多くのアーティスト達によってカバーされることになり、ソングライターとして彼の名は有名になっていく。更に彼の場合、そのライブのスタイルもまた多くのアーティスト達に影響を与えることになる。彼はアルバム・デビュー以前の60年代前半からステージにおいてエレクトリック・ギターを使用しており、フォーク・ロックの先駆けだった。当時ブルースの世界ではB・B・キングらの活躍もあって50年代から既にエレクトリック・ギターは当たり前の存在になっていた。従ってブルースをレパートリーとしていた白人のフォーク系アーティストにとってはエレキ・ギターの使用はごく自然なことだった。

もうひとつティム・ハーディンはロック史に大きな影響を与えることになる先駆的役割を果たしている。それはジャズの導入という当時まだ試みられていなかった挑戦だった。彼のサード・アルバム「ティム・ハーディン3」はマイク・マイニエリらのジャズ系ミュージシャン(パーカションの大御所ラルフ・マクドナルドもこの中にいた)をバックに迎えて録音されたライブ・アルバムだった。ジャズ・ミュージシャン達との付き合いは当時まだフォークやロックの世界ではそれほど一般的ではなかった麻薬との出会いを彼にもたらしてしまった。そして、ヘロインやモルヒネなど薬物中毒の泥沼にはまり込んでしまった彼から愛妻のスーザン、息子のダミアンが離れていったのは当然の結果だったのかもしれない。しかし、自らの曲「The Lady Came From Boltimore」で妻スーザンへの愛について歌うほど、彼女を愛していた彼にとってはその別れはあまりに厳しい現実だった。こうして哀しみの中、彼はアメリカを離れイギリスへと渡った。

72年から78年までの6年間、彼はイギリスに移り住んだ。それはまるで、かつて麻薬でボロボロになったジャズのミュージシャンたちが心の安らぎを求めて、ヨーロッパに長期滞在していたことを思い出させる。78年久しぶりに帰国した彼は9年ぶりの新作を録音し始めた。しかし、この時別れた妻スーザンとの仲がいよいよ最悪の状態となり、母と子は完全に彼の前から姿を消してしまった。80年12月29日彼はほとんど自殺といってもよい悲劇的な死を遂げた。直接の死因は心臓麻痺だったが、麻薬によって彼の肉体は既にボロボロの状態だった。その上、彼の死はジョン・レノンの死から2週間と経っていない時期だったため、ほとんど話題になることもなかった。

さすがアメリカのCDショップだけのことはある。
今でも彼のCDが10枚も扱われていた。
それらのCDから私の偏見と独断で選んだ彼らしさたっぷりの名曲をお聞かせしよう。
「音痴かな」と疑ってはいけない。自慢じゃないが彼は正真正銘の音痴なんだから。
でも聞いていくにつれ、きっと好きになるというタイプの歌手なのだ。

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「Bird on a wire」1971年作品。60年代に登場した多くのアーティストの中でも、ずば抜けた進歩的な音楽性を持ち、ボブ・ディランと肩を並べるほどの個性派として人気を呼んだティム・ハーディンのジャージーでブルージーなアルバム。ジョー・ザヴィヌル、マイク・マイニエリなどジャズ界の巨匠の参加によるジャ的アプローチによる音作りとティムの切なく渋いヴォーカルが、この作品の大きな魅力になっており、全体を落ち着いた趣のあるものにしている。しかし、怪しからんことに肝心なこのアルバムがないときている。

という訳で、別な人にこの歌を歌ってもらわなければならない。
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「Leonard Cohen」
やっぱり作者だけのことはある。いい意味でも悪い意味でも飄々として淡々。
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「Joe Cocke」
さすがジョー・コッカーだけのことはある、と言いたいがこの曲に関してはミスキャストだ。

ここからは彼の歌声が続く、心して聞くように。
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「Reason to Believe」
昔のフォークという感じの歌は何処かで聞いたことのあるような懐かしい感じがしだ。
「It'll Never Happen Again」
ティムのこの歌を聞いていたら、何故かエルビス・コステロとバート・バカラックが組んだ
98年のアルバムが思い出された。30年も前に既に歌っていた。
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「If I Were a Carpenter」
基本的には淡々と、これがモットーみたい。強弱の付け方が彼らしい。
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「How Long」
ブルースも卒なくこなしている。まあ、白人ブルースからは抜け出していないが。
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「Don't Make Promises」
何かしら音痴のところもあるのが彼。しかし、それを個性にしているから凄い。
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「Hoboin'」
私がベストアルバムだと思っている「Bird on a wire」からの1曲。
力強くて、オシャレ。まさにジャズだ。


あんなに好きだったのに、ただの1曲もやれていない。
情けないの一言です。
この続きは次回へ
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by tomhana190 | 2006-05-29 08:45


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