歴史のオマケ:47

物部神社の狛犬

「物部神社」は古代日本の物部氏に由来する神社である。
この名前を持つ神社は東日本から西日本にわたる広い範囲にわたって分布している。
判っているだけでも島根県大田市、名古屋市東区、新潟県柏崎市、新潟県佐渡市、
山梨県笛吹市などがある。この中で我が名古屋にある「物部神社」を調査してみることにした。

物部神社
所在地:名古屋市東区筒井3丁目
祭神:宇麻志麻遲命(うましまじのみこと)
摂社:物部白龍社(地主神)

「明治初年に式内社の物部神社と認められた。神武天皇が当地を平定した時に見つけた石を国の鎮めとしたと伝わっている。俗に石神神社、山神、石神とも呼ばれている。祭神の宇麻志麻遲命は饒速日命の御子で物部氏の祖神とされ、神武東遷の時、長髄彦を討って神武に従い、後に東海から陸奥方面を制圧して最後に石見に移って物部神社に鎮まったとも伝えられている。物部氏は大和朝廷で軍事・刑罰を担当した豪族。尾張や美濃は古来より物部氏にゆかりの深い土地であり、多くの物部神社が存在していたが現在は合祀されたりして、その名を留めている神社は尾張では当社、美濃では本巣方面に2座残っているだけという。また、千種区の高牟神社は物部氏の武器庫跡といわれている。境内は狭い上に半分は石神公園になっている。木々は多く、ケヤキの大木がある」とある。

また、物部という項目で検索したところ、当たり障りのない記事に混じってこんなのが現われた。曰く「古代の豪族として有名な物部氏について考えてみる。物部氏の始祖は宇摩志麻遅尊とされている。その宇摩志麻遅尊のお父さんは饒速日尊。お母さんは三炊屋姫。弟には天之香山尊がいる。宇摩志麻遅尊は物部の兵を率いて、天之香山尊と共に尾張・美濃・越を平定し、天之香山尊を新潟県の弥彦神社に残した後、更に播磨・丹波を経て石見国に入り、島根県大田市にある現在の物部神社で崩じられたとされている。この事から、物部氏はその本拠地が石見国であるといえる。よく物部氏の源郷が北九州だとか、土佐であるとか、更には奥州であるとか奇説があるが、いずれも論外で源郷が石見であることは間違いない。

物部姓を称したのは宇摩志麻遅尊の6世の孫である物部十市根命とその弟の物部大新河命の時から。物部十市根命の7世の孫が物部麁鹿火という人。つまり、麁鹿火は宇摩志麻遅尊の13世の孫に当たる。1代平均25年として、13代では25×13=325年。麁鹿火の活動時期が西暦510年前後だとみられ、既に成人し仮に30才だと考えると、おおよそ宇摩志麻遅尊の生年は510−30ー325=155年前後だと考えられる。神武天皇とほぼ同世代と考えられるので、神武天皇の生年も西暦155年前後と考えられる。更に神武は天照大神の3世の孫ですから、同様に考えると155ー25×3=80となり、天照大神の生年は西暦80年頃と考えられる。つまり、西暦1世紀後半が天照大神の時代と考えられる訳である。この計算は大伴氏の稿でも行いったが、ほぼ同じ結果になることが注目に値する。

ここで25年を計算に用いているのは次のような理由から。子をなしうる年齢というのは現代も古代もさほど違うとは考えられない。男子の場合、早くても18歳前後、遅ければ40歳以降でも可能。一般には20歳から30歳の間で子をなすことが多いと考えられる。この間生まれてくる子が系譜相続に関与する男子である事に関して考えると、長子が男子である確率は50%、2子あればどちらかが男子である確率は高まる。長男相続と次男相続を考えた時、その頻度に有意差はないが、男子2名生まれるには兄弟姉妹4人程度を考えなければいけない。この様なことを考慮して、概数計算に25歳を用いた。無論、一夫多妻、原始乱婚、等言い出すとこの様な計算自体無意味になる。ここで行いたいのは天皇系譜と諸氏系譜の比較だから時代条件は同じ。

物部氏の始祖を普通、宇摩志麻遅尊として饒速日尊としないのには理由がある。宇摩志麻遅の弟、天香山尊の系譜に海部氏や尾張氏がおり、饒速日尊を物部氏の始祖とすると海部氏や尾張氏が物部氏の分流のように誤解されるから。この点付記しておく。海部氏や尾張氏については又いつか記します」という訳の判らないものに遭遇してしまった。それにしても、この人何考えてるんだか。世の中広いんだなと、つくづく思い知らされた。

今回は物部ずくしということで、物部神社から出てきた狛犬特集と相成った。
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写真1
この神社の顔である拝殿の前にいたのがコレ。
お世辞にも由緒正しきお姿とは思えなかった。
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写真2
拝殿横の小さな祠の前にいたのがコレ。
時代的なことは判らなかったが、古くても大正とフンだ。
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写真3
4つほど並んだ摂社の前にいたのがコレ。
取り立てて意見を述べるにあらずという感じかな。
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写真4
摂社である物部白龍社の拝殿前にいたのがコレ。
まずまずの御顔立ちとみたが、時代的には物足りないかな。
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写真5
同じく物部白龍社の拝殿前にいた別の狛犬がコレ。
写真1と同時代に御輿入れをして来たとフンだ。
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写真6
狛犬かどうかという問題もあるが、神社のこういうところに
狛犬以外のものが置かれるはずもないので狛犬と認定した。
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写真7
最後の狛犬は物部白龍社の本殿の前にポツンといた狛犬。
近くで拝めなかったことがかえすがえすも残念でならない。
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by tomhana190 | 2006-05-25 08:05


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