名古屋見聞録:29

武家屋敷/後編

実を言うと文左衛門の死んだ後、朝日家には非運が続いた。
息子がいなかったため、親類の吉田善右衛門が養子となって朝日家の跡を継いだ。
しかし、その善右衛門も1726年に病死、そして断絶。こうして朝日家は消滅した。
という訳でその後、文左衛門の住んでいた屋敷は別の人に下げ渡されてしまった。
それ故、現存している江戸時代の地図(現在の住宅地図みたいなもの)には
朝日文左衛門という名前は何処を探しても出てこない。
結果からいうと、朝日文左衛門が何処に住んでいたのかということは
今もって謎ということになる。
仮に判っても、江戸時代の屋敷が文化財でもないのに残っているはずもなく、
今では綺麗さっぱりなくなってしまったということだ。
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このエリアには「豊田佐吉邸」なるモノの残されていた。
要は成り金による成り金趣味の家ということになる。

それでは余りにも味気ない話になってしまうので、
地下鉄「高岳」駅からワザワザ歩いて武家屋敷を探しに行ってきた。
明治に代わって約140年も経った現在、家おろか道すらも大きく様変わりしている。
「これが武家屋敷なのか」と思える建物は皆無に等しい。
そんな中、明治時代に建てられた通称「貞奴邸」がこのエリアに移築されていた。
周りも整備されてまるで公園のようになっていた。ただ、それだけのこと。
こういう建物を有難がっているようじゃ、先が思いやられる。
しかし、その前に建つ料亭の駐車場に思わぬものを発見した。
有に樹高25mはあろうかという保存樹が駐車場の隅にデ〜ンと立っているではないか。
ふと「この保存樹も江戸時代は誰かの屋敷の庭先にあったのかな」と
何気なく思いながら、その時一瞬閃いた。
「コレは使える」と。
屋敷や道路は何時しか変わってしまうものだが、木はおいそれとはなくならない。
ということは、この地域に残された古い木を見つけてくれば、
その木は自動的に江戸時代からそこにあったということになる。
「フ〜ン」なるほどな。
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これが、皆が有難がっている「貞奴邸」の全貌だ。

という訳で、在りし日の武家屋敷の風情を探す旅が、
あっいうまにこのエリアの古木を探すツアーに様変わりしてしまった。
次に見つけたのは金城学院高校の正門前の、ちょっと道路にはみ出していた木。
駐車場にあった木よりはずっと小さかったが、この木も何か曰くありげの木だった。
そう言えば、駐車場の木には東区認定の保存樹だということを示す標識も、
名前と由来を示す歴史的な看板すらなかった。
ここまで大きくなったならその木が個人のモノと思うより、
地域全体のモノという認識がなくちゃいけないと思うんだが、
ここの料亭どう思ってるんだか判ったもんじゃない。
それともうひとつ、このエリアには江戸情緒をいやが上にも醸し出す
神社というものがひとつもないときている。
寺も「妙道寺」という日蓮宗の寺があるだけなのたが、この寺もどうってことなかった。
精神的な拠り所としての神社仏閣がないからか、
変な新興宗教の本社やおかしな会員制施設がはびこりつつある。
ただただ、嘆かわしいことである。
そう思いながら、所々に残されている昔の面影たっぷりの街並を写真に残してきた。
たまには、こういうのもいいのかな。
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1:例の駐車場にあった神木。
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2:禁断の園、女学校の正門前に残されていた神木。
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3:主税町カトリック教会の裏にあった、まさしく神木。
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4:東片端の傍に立つ、名古屋人なら誰でもが知ってる神木。
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江戸時代の地図「名古屋城下図」に載せるとこんな感じになる。

更に今回の御負けは地下鉄「市役所」駅を目指しての帰り道に見つけたもの。
♪それは何かと言ったなら♪
今では「市政資料館」と名付けられている旧名古屋高等裁判所だ。
赤いレンガが勇ましい建物だった。
でも、それだけのこと。
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こういう建物こそ積極的に使われなくちゃいけないのに、
どうみてもそうは見えなかった。
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by tomhana190 | 2006-05-25 07:30


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