私の読書感想:18

心を尽した饗応に勤めるのが藩主の習い性

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《基礎知識:3》
1724年、秋田藩の参府時の事例を見ると次の通りである。
藩主佐竹義峰は3月16日に出発し、24日に領地を出た。
26日、天童の入口において松平大和守の家来、郡代を勤める杉崎七太夫が
麻上下姿で待っていた。同日、山形藩主である堀田伊豆守から
使者須賀治部太夫が山形宿の本陣まで派遣されてきた。
これには拝謁を許し、使者の口上に対して直答している。
使者が退出する時、家老の今宮が次ぎの間まで送り、一礼した。
29日、二本松を通行している時、丹羽左京太夫から中途へ使者が派遣されてきた。
4月2日、白河で昼休みを取ったが、そこへ白河藩主松平大和守から
使者安井五右衛門が派遣されてきた。
この使者にも堀田伊豆守からの使者と同様に遇している。
翌3日、太田原飛騨守からの使者太田原権左兵衛があり、
次いで喜連川左兵衛からの使者黒駒蔵人が相次いで派遣されてきた。

このように他藩主の通行に際しては使者を派遣し、
その労をねぎらうことが慣行になっていた。
そして、そのような儀礼的な好意だけではなく、
信じられないほどの馳走することも珍しいことではなかった。
その具体例をひとつ挙げよう。
1800年10月15日、平戸藩隠居松浦静山が佐賀藩領を通行した時のことである。
静山は次のように書き始める。
「田舎の純朴なのはいいけれど、世にいう杓子定規な対応もあって、
出費が多くて民も苦しんでいる」
何のことかと思うがこの日、静山は領内を出て佐賀藩領に入った。
前の晩、少し雨が降ったのだが佐賀藩領に入ると、途端に道が悪くなり、
ぬかるんで泥に足を取られる。前日の雨はそれほどでもなかったのに、
どうしてこれ程道が悪いのだろうと輿の中から見ると、その事情が判った。
佐賀藩主は静山の通行のためわざわざ馳走の道造りをしていたのである。

このように、各々の藩主達が近隣の藩主の通行のために、
心を尽して饗応したことが見て取れる。
このような儀礼的交際が江戸時代の各藩主の習い性であった。
もうひとつの馳走の例を挙げよう。
出羽鶴岡藩主酒井家に対する古河藩主土井氏の渡し船の提供である。
「御入部御道中日記」の7月3日の条に次のような記事がある。
「土井大炊頭様から御馳走として殿様の御召船を提供された。
御船場へ土井様の御船奉行の小杉角兵衛が平伏して待っており、
この件を披露した。その後、小杉に下賜品を与え、それから乗船してお供した」
なおこの後、古河城下で昼休みをとったが、
この時も土井氏から「御安否御見舞」の使者石川又右衛門が遣わされている。
同じ譜代で、かつ酒井家は御譜代の第一と称される名家である。
老中を輩出している土井家としても、大切な客人だったのであろう。

歴史書籍04:堺港攘夷始末
◆大岡昇平著 ◆1992年発行 ◆中公文庫 ◆定価660円

e0041354_724047.jpg1868年2月15日、堺港に上陸したフランス海軍の兵士と堺港の警備に当たっていた土佐藩の警備隊員のあいだに偶発した紛争のあらましはよく知られていることである。紛争がどういう経過をたどったか、そしてどう処理されたか、おおよその筋道は判っている。何故なら歴史書にもまして、この事件を後世に伝えるのに貢献したのが森鴎外か書いた「堺事件」という本だった。大岡が本書「堺港攘夷始末」をあえて書こうと思い立った動機は、この鴎外の「歴史における自然を尊重すべし」という一見正論のような理論と堺事件という実作とのあいだに見られる、明らかな矛盾に対する批判と結びたところにある。いずれにしろ1913年12月、1週間あまりで慌ただしく書かれたらしい「堺事件」が鴎外の名声も働いて広く読まれてきたのは紛れもない事実である。

しかし、広く知られているのはおおよそのところだけであり、それ以上の細目となると、この不幸な殺傷事件は歴史の霧の中に茫洋と隠れてしまう。新政府の当事者とフランス側で進められた交渉についても、部分的な調査は行なわれているものの、詳細が究められたとはいいがたいものがある。事件そのものの経過についても、どちらが先に発砲したのか、フランス側の死者の数もはっきりしないとか、究明すべき点は少なからず残されていた。1868年の日本をめぐる国際的な政治状況、天皇新政府と旧幕府との内戦状態など、いわばマクロ的な状況を大きく張り巡らしながら、土佐藩の内部事情を経て、不運な当事者となった藩士達の示した反応などミクロ的な部分に至るまで、大岡はそれらの点もふまえてこの事件に関することであれば細大洩らさず網羅した。

大岡は小さな外交紛争と片付けられかねないこの偶発的な事件の中に、事件の規模を超えるもっと大きなものが読み取れたと考えたのである。極東の一隅に閉じこもっていた島国がやがてヨーロッパやアメリカの列強と対抗しようとする過程において、どうしても出会わなければならぬ難問を予告する象徴的性質がそこから引き出せる判断したのに違いない。そして、鴎外への批判を通して文献・史料を調べるうちにそういう展望が開かれたのかもしれない。土佐藩士達の知らなかったもの、彼等のみならず日本側もフランス側も含めて、当時事件に係わった者には見えなかった真実がここに取り戻されようとしている。最初から最後まで本書の底辺にはその視点がしっかり据え付けられている。そして本書を読みながら、大岡の書いた「レイテ戦記」を思い出したのは私だけではないはずだ。
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by tomhana190 | 2006-05-24 07:25


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