名古屋巡礼記:68

鍋屋上野を巡礼する/前編

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春爛漫の天満緑道ではバーサンが朝早くからセッセと掃除をしていた。

桜の蕾もまだ堅かりし3月のとある日曜日、
今回と同じルートで巡礼しようと張り切って出かけてみたものの、
最初に訪れた上野八幡宮で写真を撮っていると、
何故かバッテリー切れのサインが出るではないか。
近くにいた神職に「乾電池、売ってますか」と尋ねたところ、
案の定「ありません」との返事が返ってきた。立派な社務所なのにと思ったが、
この神職を咎めてみたところで始まらない。
すかさずコンビニの在り処を聞いて巡礼途中で止むを得ず買いに行った。
ほのかに汗のかく距離、片道300mぐらいあった。
帰りの途中、ここで記念撮影だと思って天満緑道辺りで乾電池を入れ替え、
いざ写真を撮ろうとしたが、いつまで経ってもバッテリー切れのサインが消えない。
これでは万事休す、お手上げである。
このまま巡礼を続けても何だな、と思って断腸の思いで帰路に付いた。
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地下鉄「茶屋ヶ坂」駅のエレベータ入口。

あれから1ヵ月程過ぎ、春爛漫の日曜日、リベンジを兼ねてまた行って来た。
朝8時過ぎ、今回も地下鉄「茶屋ヶ坂」駅で下車。
さすがに日曜日だけあって乗客の数が桁違いに少ない。いいことだ。
駅から直ぐのところにある「三十番神」という祠(前回チェック済み)が最初の巡礼地。
ここは地図にも記載されてないような、神社と呼ぶにはちょっと気恥ずかしいほどの
小さな祠で、鳥居もなければ狛犬もいない。これといったものが何もない祠だっだ。
何故三十番神と呼ぶのか、二十九番神はあるのか、そもそも番号に意味はあるのか。
そういった諸々のこと全てが小さな祠の割に大きな謎として残った。
考えても始まらないので、ここは次へと向かうしかない。
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「三十番神」とは、こんな感じの祠だ。

次に向かったのはバスレーンから1本入った「金森明神」というところ。
ここは前回、上野天満宮へ向かう途中、とある場所で標識を見て知ったのだが、
見つけた時はルートが逆になるため断念したところでもあった。
それが2度目ということで無事復活、今回初めての巡礼と相成った次第である。
と言っても、ここはマンションの横にある小さな祠とノボリが2本ばかし立ってるだけの、
そういうところ。見るべきものは何処をどう探してみても何もないところ。
しかし金森明神という名前を見ていて、かつてここの近くの山口街道で事件があった。
無頼者に因縁を付けられ難儀している大店のお嬢様と丁稚を助けようと、
何処からともなく現れたいいカッコしいの若侍が無謀にも立ち向かった。
しかし、基本的にこういうことに向いていなかったのか、はたまた、単に弱かったのか、
何なのか、その若侍はカッコ悪くも返り討ちにあって短い命を落としてしまった。
不憫に思った大店の旦那がその若侍の冥福を祈る意味を込めて
若侍の名前をとって金森明神という祠を道沿いに建てた。
それが、今に伝わる金森明神の由来なのかな〜と、秘かにココロ温めている。
ちなみに、ここの地名は赤坂町で金森という名前はどこをどう探しても出てこない。
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「金森明神」とは、こんな感じの祠だ。

次は名古屋三天満宮のひとつ「上野天満宮」である。
しかし、この神社、一目見て気に入らないところが多々あった。
(乾電池を売ってくれなかったと目くじら立てているのではない)
敷地の半分以上も占めているものが誰のためにあるのかもさっぱり判らない
駐車場らしきスペースという点がまず合点がいかない。
更に社務所を含めて全ての施設が真新しくて使い勝手はいいかもしれないが
ありがた味のカケラも感じないこと。
神が宿るところにしては整然とし過ぎている。渾然一体とした神秘さがまるでない。
まだ、挙げるとキリがないのでこれくらいにしとくが、
とにかく気に入らないことばかりだった。
こういうところはお参りを済ましたら、すぐ御無礼するに限る。
という訳で、桜並木につられて南に向け進路をとる。
しばらくすると、この辺りイチの大きな公園である「赤坂公園」が見えてきた。
その公園の南側に、まさしく鎮守の森だと思われるこんもりした林があるではないか。
地図を見ても何にもない。しかし私には確信に近い確かな思いがふつふつと湧いてきた。
「ここには何かある」と。
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「上野天満宮」とは、こんな感じの神社だっだ。

案の定、近づくと祠のようなものが木々のあいだから垣間見える。
入口は何処なのかと、周りをグルリと1周すると南側に小さな鳥居があって
鬱蒼と茂った木々のあいだに細い参道もあった。傍にはとてつもなく大きな神木もある。
鳥居には素人の手になる拙い字で「金龍大神」とある。
よく見ると大きくて真新しい地蔵もあって、その前には訳の判らない物が祀られてもいる。
誰かに見守られている特別な場所だということは判ったんだが、
それ以外には何の手がかりもない祠であった。
しかし、鎮守に森に囲まれて感じることは半端でない霊気があるということ。
ここは間違いなく神がおわすところであり、神が降臨するところだともヒシヒシと感じた。
私といえどもこういう霊験あらたかな感覚は滅多にないこと。
こういうことがあるから巡礼は止められない。
お暇する時にはぐったりと生気を取られていた。
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霊験あらたかな「金龍大神」といっても、要は手付かずの森という風情なのだ。
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これが「金龍大神」のご本尊とも言うべきお姿なのだ。
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by tomhana190 | 2006-04-29 09:50


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