心の曼陀羅:13

落城/前編

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火は麓にある伊奈波神社の社殿にも及んでいるようだった。
拝殿も、その奥に隠れている本殿も黒煙に包まれているのか見えなくなっていた。
その前を白い衣を着た神官達が為す術もないといった感じで立ちすくんでいた。
そして、もうもうたる黒煙がいつしか山の上の稲葉山城を包んでいった。
先程まで絶叫と奇声にも似た呻き声とが波打つごとく聞こえていた山頂であったが、
それもいつしか途絶え、何もなかったように静寂だけが辺りを包んでいた。

城は既に焼け落ちて霧が遠巻きする中で残骸が黒煙を上げながら煙っている。
門から門へかけて戦死傷者が血糊の海の中に折り重なって倒れている。
稲葉山城攻略の軍勢は城の東北から攻め上がって頂上へと達した。
10日間も掛かった攻撃は遂に目的を達成したのだった。
城を最後まで死守した残存の兵や取り残された女人達が本丸から離れた出丸櫓へと
ひっそりと寄り固まっているようだった。

夜をかけて登ってきた軍勢はいつしか二の丸側に集結し、
ひどい煙を避けるがごとく一団となって集まり、本隊が登ってくるのを待っていた。
全員、流血、汗、それに霧の中、びしょびしょの状態である。
攻略軍は2人の隊長を取り囲むかのように集結し、手にはまだ血刀を下げ、
槍を握りしめたままである。攻略成ったとはいえ敵陣中である事に変りなかった。
それがなお気を猛らせているのであろう。
引き裂けた旗差物、飛び散った兜、刀身の散乱、辺りは早や異臭が漂いはじめていた。

城側の者がおののき怯える出丸櫓の石垣下には
攻略軍の兵士達がぐるりと取り囲んで隊長の言葉を待っていた。
そして、これは城側残留者の逃亡を沮止するためでもあった。
この稲葉山城攻防戦の苦闘はその極みに達していた。
攻める方も、攻められる方も、決死五分五分の差は
わずかに攻撃側の威武の差に過ぎなかった。
双方、共々疲労困ぱいし、難攻不落の堅城は梅雨時の雨の中、遂に陥ちた。
蔵という蔵の兵糧はほとんど食い尽され、全く空同然の城中であったが、
今、断末魔の前の静けさとでもいうように、
とにかく出丸櫓から取り乱して暴れ出る者もいなかった。

辺りが何か急に明るくなった。時も午前9時頃である。本隊がようやく登ってきた。
長い隊列の中に総大将がひとりだけ馬上であった。
武具姿に赤い陣羽織、手には金紋の軍扇を持ち、
霧よけのために油紙を頭から肩へと掛けている。
黒い大きな髭、鋭い眼光、太刀を腰に下げて威風、まさに堂々たるものであった。
総大将は本丸の状態を東曲輪から馬を止めて眺め見た。
その横には老将のひとりが控えていた。

総大将は完全に焼け崩れた本丸を見たあと「敗軍はいずこぞ」と言った。
「は、これを向こうに回った出丸に追い詰めてござりまする」
と攻撃隊長のひとりが答えた。
「城からは何も申さぬか」
「は、何も応答もありませぬが」
「まだ生きている様子か」
「ちらほら、その姿は見えておりまする」
「よし」大将は下馬することを合図した。
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by tomhana190 | 2006-04-29 08:40


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