名古屋見聞録:24

名古屋の地名「橋」

名古屋の地図を見ていて判ったことがいくつかある。
その前に断っておくが、こう見えて私は地図オタクではない。
人から後ろ指を差されるような腑甲斐無いヤツではなくてゴクゴク普通の名古屋人なのだ。
(まぁ、人よりは名古屋の地名に詳しかったのだが)
それがひょんなことから「名古屋巡礼記」を書くようになって、
必要に迫られ地図を見るハメになってしまったという訳。
私といえどもいくら何でも記憶だけで巡礼する訳にはいかないし、
諸々の理由があってこれも仕方がない。この巡礼もかれこれ4年以上も続けていることになる。

名古屋にはおもしろい名前の橋や由緒のありそうな橋があったりしておもしろい土地柄ではある。
例えば西区の堀川には鷹匠橋というのが現存する。
江戸時代、この近くに鷹匠達が住んでいたことが名前からもすぐ判る。
また、中区の新堀川には記念橋という名の橋がある。何の記念かというと1910年、
名古屋築城から300年が経ったという記念行事としてできた橋だという。
その記念橋の2つ南にある橋が富士見橋。
そのものズバリ、昔ここから富士山が見えたのでこう呼ばれた。

名古屋には〜橋という名前の町名が8カ所もある。
この数字が多いのか少ないのかは何とも判断が付かないのだが、
その内訳はというと北区に「彩紅橋通り」。
東区に「香流橋1丁目」「砂田橋1丁目」「千代田橋1丁目」。
中川区に「尾頭橋通り」「篠原橋通り」。南区に「内田橋1丁目」。西区に「上橋町」がある。
この内、香流橋と千代田橋は矢田川に、尾頭橋と内田橋は堀川に、
それと篠原橋は中川運河に同じ名前の橋が現存するので、その橋が地名の由来と察しが付く。

西区の外れ、東名阪自動車道のすぐ北側、
平田ICの西にある上橋町には近くに上橋という名の橋はない。
しかし、よく地図を見ると国道302号線(上は高架の東名阪自動車道)の下に
新川に注ぐ水揚川という小川に毛の生えた川が流れているではないか。
そこには当然名もない橋があるにはある。
よく見るとその橋の地点から北に行くと上橋町が広がっている。
これはどう見てもその橋が上橋のような気がする。そういう結論でいいんじゃないかな。
多分、50年前の地図を見ると、上橋という橋がそこにあるはずだ。

しかし、残りの2つ彩紅橋通りと砂田橋1丁目には橋どころかそれらしい川すら近くにはない。
彩紅橋通りの近くには古径町とか紅雲町といった古い町名だと誰にでも判るような由緒ある土地柄。
すぐ近くには芦辺町という川辺を感じさせる町名もあったりしておもしろい。
また、砂田橋1丁目のすぐ近くには矢田川が流れていて橋もあるのだが、
その橋の名は宮前橋という名前で砂田橋ではない。よく地図を見ると
その南に上野天満宮という江戸時代から賑わっていた神社があり、ここからきた名前だと判る。

それではこの2つの橋は架空の橋で、
最初からそんなものは存在しなくて当時の人達が思いつきで付けたのか、
というと答えはそうではなかった。昔の事でこの目で見たことはないのだが、
彩紅橋通りと砂田橋1丁目辺りにはかつて川がちゃんと流れていた。
その川の名は「大幸川」といったそうだ。
そして、名古屋の街の都市化に伴って農業用水としての役目を終えた現在は
大部分が下水道の幹線となり川としての姿は残していない、言わば隠れた川なのだ。

地下鉄「砂田橋」駅のすぐ南側、
今は改築のために取り壊されてしまった大幸住宅のすぐ北側の歩道が何故か広くなっている。
そのことは車道が狭くなっているので判る。自動車が増えていることを考えると
あの歩道を少し削って車道をもう1車線増やせば車の渋滞が少しはよくなると誰でも考えるが、
それができない。何故ならあの歩道が昔「大幸川」があった所なのだ。
今では暗渠といって川の代わりに土管を埋め、その中を水が流れるようにしたものがあるという。

よく調べると、大幸川の水源は名古屋市千種区希望ケ丘周辺だという。
平和公園の北西辺りから流れ出す大幸川はしばらく姿を隠していた。
姿が見えるのはそこから少し下った茶屋ヶ坂池という溜池から始まっていたようだ。
そして茶屋ヶ坂を下った大幸川は鍋屋上野浄水場の脇を下って砂田橋の交差点に向かっていた。
実はこの本流の少し南にも支流があった。
茶屋ヶ坂池の約200m西に弁天公園という公園がある。この辺りを源とする支流は
西に流れて上野天満宮の北を通った辺りで向きを変え坂を下って合流していた。

また、この支流は上野天満宮の近くで南の赤坂公園から来る支流とも合流していた。
この辺りの地形をよく見ると、この川が崖を掘り下げた地形が今でも残っており、
そこには今でも「谷口」という地名が残されている。
もうひとつの支流が地蔵川で、この川は今の萱場交差点辺りを下って大幸川に合流していた。
これらいくつかの支流を大幸そして矢田南の辺りで合わせた大幸川は
大曽根駅の西で平安通を離れ、その南側にあり西に向う通りに入っていった。

この通りを300m程西に行った所に、かつて彩紅橋という名の橋があった。
当時、紅色に彩られた橋が架かっていたんのかもしれない。
近くには紅雲町というシャレた地名もある。
彩紅という響きからその昔の市井の人達の情景が目に浮かぶ。
彩やかな紅色の橋が川の上に架かっていて、
夕方には夕飯の仕度に忙しい女達がこの橋を足早に渡っていく。
天秤棒に豆腐をのせて売る行商人もラッパを鳴らしながら通り過ぎたのかも知れない。
川で水遊びをしていた子供達はまだ遊び足りないという顔をしながら帰っていった。

大幸川は彩紅橋を過ぎると志賀本通を越えて更に西へ流れ、
猿投橋という橋の付近で名古屋城から来た堀川に合流する。
ちょうどこの橋の下を覗くと大きな鯉と共にそれが判る。
何か変な話になってしまったが、
今の地図を見ているとかつて存在した昔の地形まで見えてくるという話。ではまた。
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写真:彩紅橋の近くにある下飯田六所社の全景。
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by tomhana190 | 2006-02-28 09:19


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