心の曼陀羅:5

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精魂

それは冷たくみぞれの降る日であった。
師走も近い11月26日、午後過ぎであった。
稲葉山城方向の山あいからの道、溝旗神社の鳥居の過ぎた辺りから
何かを追い掛けるように腹当てをした騎馬の3人が急いでやってきた。
その中のひとりは走りながら何かをかじっていた。
この騎馬武者とおぼしき男達は田んぼ中を流れる川の
それに架かる橋の上まできて馬を止めた。
そして慌てながら「ここか、あそこか」と忙しく言い合っていたが、
その内ひとりが「お、あんな処に足跡があるぞ、あれは足跡だ」
といって橋からすぐ下の川岸を指差した。
そして「怪しい」といいながら馬を飛び下り、すぐ腰の太刀を抜き払うと
川土手の方へと回り、更に河原へと飛び下りてそれを確かめようとした。
後の2人も素早く下馬し、馬の手綱を橋杭に掛けるとそれに続いた。
川草は枯れてはおるが深く川辺に茂っている。
それに雪がかかって冷たい風景である。

その枯れ草の中に入っていった男は辺りをじっと伺っていたが
「おい、何か見えるぞ」と言ってその橋へと近寄った。後の2人も共に駆け寄った。
「おい、人間だぞ」男はそう言った後、その者に向かって怒鳴った。
「やい、そこに居る者、何者ぞ、面を上げい、名乗れい」
橋の下に居たのは2人で、ひとりはばっちょう笠をかぶり、ひとりは頬冠りだった。
笠の方は綿入れ、熨斗目の着物に筒裾絞り、黒足袋に草履だった。
ひとりは上っ張りにわらじである。腰には脇差しが見えた。
この2人は橋野下に屈み込む様に顔を隠して動こうとしなかった。
これを見た武者のひとりが勢い近寄り、笠を冠った人の襟首をつかみ引出そうとした。
その時、初めてその人が半立りとなり、襟首の腕を強く払おうと橋の下から出てきた。
もうひとりも、他の2人に強い立てられて姿を現した。

「やい、橋の下に潜むとはただ事ならず、名を名乗れい」
笠の人は沈黙のまま返答をしない。
「返答をせぬか」あとに居たひとりがそう言って、また襟首をつかんで引き下ろそうとした。
その時、雪の上に何かさらっと落ちた。見ればそれは数珠であった。
その人はゆっくりそれを拾い上げた。これを見たひとりが
「おお、瑞龍寺ではないか」と言った。他の2人も即座に緊張した。
「瑞龍寺、探し求めたぞ瑞龍寺」男はそう怒鳴って正面から身構えるかっこうをした。
その人は笠を握り持ったまま草履の両足を強く踏ん張り、
「いかにも瑞龍寺、おのれ、僧位に太刀向いとは何事ぞ、無礼者め」
笠の人は紛れもなく瑞龍寺総住その人であった。

見れば形を崩した上衣の中に鈍色の薄衣が見えている。
錦地が肩から斜に下がっていた。
「見たぞ」太刀の男はそう叫んだ。総住はまばたきもせず男を見据えた。
総住には一切の覚悟ができている様であった。
一瞬の淋し閑寂、品位と威厳の眼光は前に立つ武者のその比ではなかった。
また降り始めたみぞれが冷たく頬に流れはじめた。
これを合図のように、寄ろうとした男がその眼光におののいてたじろぎ、退いた。
「皮体断つるも、精魂は斬れず」

その時、背後で太刀を持って立っていたひとりが「御免」と声して
総住の肩を打った。瞬間、鮮血が花火のように飛び散って雪を染めた。
橋上の馬がいななき、前かきをした。総住はぐったりと前に崩れた。
これを見た総住の連者が直ぐさま短刀を抜くとその男に飛び込んだ。
が、瞬間短刀は叩き落された。連者は逃げはじめた。
これを追い掛けるひとりが走り寄って前に回り、一太刀を浴びせた。
血まみれとなった連者は「ワッ」という声と共に逆さとなって川にずり落ちた。

3人が総住の首級を衣に包んで持ち、馬を城方向へと向けて帰ったあと、
それはそのままであった。久しくそのままであった。
が、その後、改めてすぐ上の台地に手厚く葬られた。
3人の騎馬武者は城攻撃隊の本隊に帰る途中、
ひとりは坂で落馬して絶命し、他の2人も間もなく命を落とした。
思えばそれは、総住の見えない力によって討たれたのだと、
当時それを誰ひとりとして信じて疑う者はなかった。
翌年3月、激しい攻防のあと、稲葉山城は遂に落城した。
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by tomhana190 | 2006-02-25 13:35


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