リハビリ日記:94

2005年最後の巡礼の話

∴この冬は異常に寒くて、いわゆるオウジョウしている。
私はそれほどでもないがM美はそうとう参ってるみたい。
冬山に登るような完全防備をしていても何処もかしこも熱ったかくなる訳でもなく、
一旦寒いと思うとそこらじゅうが寒く感じられて、あとは為す術もなく
ただただ縮こまっているという具合だ。12月25日、最後の日曜日、午前10時半、
私は久しぶりの巡礼に出発した。と、いうのもここ最近の寒さで巡礼どころか
散歩もままならないという感じで、最後の巡礼から1ヶ月も経っていた。

∴しかし、久しぶりの巡礼だといって無理をしてはいけない。
これは私のきつく戒めるところでもある。M美に頼ることなくひとりでやり遂げること。
これが私の最大の目標であり、巡礼を続けるために課した最低限の守り事でもある
(何時だったか忘れてしまったが、不覚にも昭和区の広路通まで
迎えに来てもらったことがある)。人間の欲望は計りしれないと思った。
と、いうのもこんな私にも「…だったらいいな」という単なる夢ではなく、
今ある現実に即したカタチでちゃんとした夢がある。しかし、ここでは発表しない。

∴地図を開いてこの日の予定を起てる。今回は地下鉄を利用するのではなく、
最初から最後まで徒歩。と、いうことは自ずから自宅の周辺ということになってしまう。
しかし、ここ名東区には神社の数も少なければ、有名な寺院もない。
だいぶ前に一度、自宅に近い神社3ヶ所を廻っていたので近いところでめぼしいところはない。
あるのは名東本通沿いにある「三徳龍神社」(リハビリの帰りにこの神社の前の道を
否というほど通っているのに何故かその存在を覚えていない)と高針の西友ストアから
少し北に行ったところにある「高牟神社」。

∴高牟神社の周辺は区画整理もしていない、いわゆる村の面影が今でも残っている土地柄。
そこに2〜3寺もあるから目標としてはまずまずである。次にだいたいの道順を決める。
これは今となっては大事なことである。大袈裟にいうと無駄なく、体力の温存を図り、
ひとつでも多くの神社仏閣を廻ることが今の私に課せられた目標でもある。
見つからなくったら、また来ればいいという気はもうとうない。
こんな体になると否応なく一期一会という思いが強くなる。

∴自宅を出て植田川沿いを南下した。この川、よく見るとカモ系の鳥が20羽以上も
大挙して羽を休めている。だいぶ前に見た時は一家族か何かが偶然休んでいるんだろうと
思っていたんだが、こんなにいるとそんな思いは何処かにいってしまう。
他の渡り鳥もチラホラいるみたいで、こんなところが突然湧いたような活気があって
何だかおもしろい。一見、冬場の営巣地じゃないかと思えてくるから不思議だ。
こんな人の住むまっただ中でどっこい自然が力強く息付いているところを見るのは新しい発見だ。

∴途中、道を逸れて西に向かって国際研修センターの方へ行く。
ちょうどこの辺り、亀の井という由緒ある地名でゆったりとした上り坂が続いていく。
この亀の井、思いのほか広いエリアを指している。何でも名古屋の三泉「亀の井戸」があった、
という話は何処にも存在しなくて、この辺りには寺と名のつくものがひとつもない。
味気ないとこ、このうえない。ちょうど「国際研修センター東」という交差点がこの丘の頂上。
交差点を渡るとこんどは下り坂になる。しばらく行って左に折れる。
結構急な坂道に驚きつつも更に降りて行く。

∴そうやって歩いて行くと右手にこんもりとした小さな森が目に入ってくる。
「あそこだな」と目星を付けて、こんどは坂道を登って行くと名東本通に出る。
道沿いにしばらく行くとビルとビルのあいだにいつも見慣れた紅白のノボリが
立並んでいるところが三徳龍神社のある場所である。
ここの神社は道より下がったところにある珍しいところ。降りて行こうとしたら
右側にしか手摺がないことに気が付いた。と、いうことは降りてお参りを済ませてから、
いざ帰りに階段を登るに登れないという重大なことに気が付いた。

∴いつもの階段なら、登って降りてくる時に同じように後ろ向きで降りてくることも
可能なのだが、ここの階段はそういうことができない難解な下り階段なのだ。
と、いうようなことを一瞬の内にはじき出して身じろぎもしないで次へと向かった。
そう、一期一会と同時に是が非でもという欲はきれいさっぱり病気と共に
何処かに置いてきていた。記念写真を撮って、といっても本殿は見えないし、
狛犬の存在すら判らないときている。あとはヘンペンとはためく
立派なノボリを撮るしかなかったのだ。

∴名東本通を高針の方に下がって行く途中でこれはという世にも稀な場所にカチ当たった。
何かある訳でもなくごく普通の場所。しかし、その場所は信号の名前が「神里」で、
近くのバス停の名前が「山ノ神」という、信心深い人が聞いたら泣いて喜ぶ目出度いところ。
でも、地図をいかに凝らして見ても神社の神の字も近くにはないところでもある。
記念にと信号の名前が写って、さらに向こうのビルの名前「山の神ハイツ」という
文字両方が写る位置を探して撮ってきた。
わざわざ撮ってきて何だが御利益のありそうなところではなかったな。

∴江戸時代、信州から名古屋に至る飯田街道の途中、日進・米野木辺りから
飯田街道をはずれ北西に向かって高針を通り、名古屋の城下町から東に延びる道に
つながる道が開かれた。この道を中馬(ちゅうま)街道といった。
中馬とは中継馬のことである。信州から馬の背に乗せてタバコや木地椀などを運び、
反対に名古屋で塩や干し魚、瀬戸物、綿などを仕入れて信州に帰っていった。
足助を朝発ち、その日は高針で泊り、翌日名古屋城下に入るというような行程が
一般的だった。そんな訳で明治の中頃まで高針に馬方宿があったという。

∴そんな教科書的な話はこれくらいにして、名古屋高速の高架のある「高針橋東」交差点を
渡るとお目当ての高針地区に入る。約200m行くと「東勝寺」が見えてくる。
外から望む外観はそれはそれは立派であった。「こんなたいそうな寺は
どうせ入れないんだろうな」と半ば諦めの境地で正門に廻った。するとどうだ、
門が気持ちよく開けられていて「いいからどうぞ、お入りください」といっているようで、
これには参った。本堂前の階段に座って途中で買ったお茶を飲んだ。
清々しい日曜のお昼時であった。

∴ここからしばらくは車も通れないような狭くて入り組んでいる旧市街地のようなところ、
昔の集落のたたずまいが比較的よく残されている地区を歩いていくことになる。
と、いうことは人々の生活の営みが身近に見られるということになるのだが、
こう寒くては人はひとりも出ていない。いるのは伸び伸びと出歩るける野良猫だけ。
そうこうする内に高牟神社の鳥居が見えてきた。ここは旧高針村の氏神様だ。
鳥居をくぐると参道に灯篭が並んでいる。これらの灯篭をはじめ
境内には土地区画整理組合の奉納物が多くみられる。

∴ちょうど地元の氏子達が総出で注連縄を作って古い注連縄と張り替えているところに
出くわした。そんな仕事場の横を通って拝殿前まで登って行く。
奇異な視線がそこら中から降り注いでくる。まあ、こんな体だから作法通りに
やれなくてもどうってことないが、神様もそんなことはお見とうしの筈だ。
お参りも無事済ませて、ここからが本領発揮の時だ。と、いう訳で
ここには3種類の狛犬がいた。しかし、どれも新しいものばかりで、その中でも
拝殿前にいたのが一番古いヤツだったがよく見るとちょっとがっかりしたな。

∴これで予定のところは全部済んで、あとは自宅を目指すだけ。
街の中を通って帰るのもいいが道が間違っていないか通りを越すたびに
いちいちチェックしなくちゃならないのも面倒くさい。この際、風情はないけど
絶対間違えない方法、それは名古屋高速沿いに歩くこと。と、いうことで
名古屋高速沿いをひたすら北上した。途中、製麺所直営のうどん屋を見つけて
「今度行かなくちゃ」と思ったり、近くのコンビニでおにぎりを買ったりと
思いのほか充実した日曜の昼下がりであった。
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情景写真:94「いいからどうぞ、お入りください」といっているような東勝寺の門。
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by TOMHANA190 | 2006-01-23 14:21


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