達人への道:4

地下鉄発掘:地下鉄名城線「黒川」駅界隈

地下鉄名城線「黒川」駅。病気前、M美の実家へ行く時は
この駅まで義父が迎えに来てくれたし、病気後も1人で何度も来ているので
勝手知ったるナントやら。今の私に最も重要かつ必須なエレベーターの位置やトイレの位置
その他何でも知っているから安心できる。黒川という名は堀川の上流部を指したりもするが
現在では川の名ではなく、どちらかといえば黒川本通をはじめとした地名として
主に使われている(地図で調べると黒川本通と黒川交差点以外何処にも
黒川の付く地名はなかった。何のコッチャ)ようだ。黒川の前身となる流れは
御用水と呼ばれていた。これは1663年に名古屋城の堀の水を補うため庄内川から
引き込んだ水路だった。この御用水を基として1877年、愛知県土木課長だった
黒川という人が黒川を開削した。黒川課長の故郷(岐阜県羽島郡柳津町)は3本の大河に
囲まれた輪中地帯で水害が多い地域であった。幼少期の苦い生活体験が
彼を愛知県土木課へ進ませたのであろう。県令(現在の知事)は名古屋城建設時の堀川
(城と熱田の港を南北に結ぶ)の改修を彼に命じた。
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写真は黒川の今の流れ。ほとんど流れてなくて淀んでる。

彼は単なる改修工事ではない大計画を考える。堀川と庄内川を結ぶ運河を作り
庄内川から木曽川の水を堀川へ流そうとしたのである。名古屋市北区を東西に流れる
現在の堀川はこのような計画で作られ、彼の名から当時「黒川」と呼ばれていた。
これにより犬山まで船が通行可能になり名古屋の産業は大いに発展したという。
地下鉄「黒川」駅から東へ約400m行くと道が二股に別れている。
1つは志賀本通に向かい、もう1方は三階橋に向かう。その三階橋に向かう方の道を
名古屋犬山線又は辻本通というのだが地元の人は誰もそう呼ばない。
地元の人はこの道のことをどういう訳か防衛道路と呼んできた。
恐らく戦後アメリカ軍がまだ駐留していた頃、アメリカ軍の宿舎が今の白川公園辺りにあり、
そこから米軍の将兵やら軍属がこの道を通って小牧の基地まで通ったので
そう呼ばれたようだが真偽の程は定かではない。また一部には直線で約1700mも続くこの道は
もしやの時に緊急の滑走路になる道だと信じてる人もまだまだいるようだ。
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写真はいわゆる防衛道路

駅から南西へ1km弱で西来寺に着く。途中、運が良ければビックリするほどの大木
(名古屋市指定の保存樹としてもいいくらい)のある普通の民家にも出会える。
この寺は墓地をちゃんと併設してる本格派(宗派は忘れたけどね)。
境内には変な石仏や取って付けたような寶積稲荷という神社もチャッカリ鎮座してる。
庭に立って境内をながめると、他の寺院の門扉と異なり、この寺のものは
いわゆる武家門扉である。扉の上の部分に縦の桟を5本打っただけの透しとなっているので、
外を寺の中から見ることが出来るのだ。この門扉にまつわる逸話が伝わっている。
この寺は戦国時代、御深井の内の多利という所に地蔵院として開山した。
慶長年間、名古屋城築計画により田幡村の現在地に移された。達磨大師を深く敬う
尾張4代藩主吉通の厚遇を受け、達磨大師の少林寺に因んで少林山・西来寺と銘々された。
参拝して何がよかったかというと、トイレがちゃんと境内にあったこと。まさしく本格派だ。

◆西来寺の門:享保年間のことである。西来寺の首座に開田和尚というチカラ持ちの僧がいた。
名古屋城に所用があって出かけた帰り、御深井丸の庭を歩いていると庭の片隅に
門扉が捨ててあるのを見つけた。「寺には門扉がない、これを寺の門扉として持帰ることは
出来ないだろうか」と和尚は考えた。庭の番人に聞いてみると西北隅櫓(旧清洲城)の門扉が
不要になったので捨ててあるものだという。「寺に頂けないだろうか」と和尚が番人に頼んだ。
「何枚ほしい」と番人が聞く。「勿論1枚だけでよい」。番人は「2枚しかもひとりで持って
帰るならこれをやろう」と難癖を付けてきた。重い門扉はひとりで持つ事も難しい。
持上げる事さえ難儀であるのに、それを担いで寺まで持って帰ることは至難の事だ。
難題を出せばきっと諦めるだろうと番人は条件を出したのだ。
和尚は「それでは持って帰ります」と何気なくいって、門扉を軽々と持上げて
呆然としている番人を尻目に悠々と立ち去ったという。
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写真は西来寺の例の門

ついでに足を伸ばし西来寺から南に200mぐらい行った黒川沿いに巨木に囲まれた神社、
多奈波太(たなばた)神社がある。ちょっと小さめの境内、しかしいかにも年季の入った
鎮守の森が境内全体を優しく包み、祈りの場に相応しい風情を醸し出している。
「尾張志」にも「田幡村にあり、今七夕の森と称して旧暦7月7日の例祭には灯をかかげて
緒人参詣す」とあり、古書にも「例祭7月7日の夕は燈を掲げて諸人参詣す」とあり、
大正頃までは七夕の短冊飾りも盛大でゲイコ達の祈願で雑踏したという。
主祭神は天棚機姫命で、江戸時代は東照宮の管轄で一般人は柵外よりの参詣で
例祭日だけ境内参拝を許されたという話が伝わっている。また七夕にまつわる神社といえば
西区・小田井にある星神社とこの神社、ふたつの神社を結ぶ伝説も残っている。

◆七夕伝説:昔、小田井村の星神社の近くに若者が住んでいた。
若者は田幡村の娘と七夕の夜に出会い、その後も度々会うようになった。
そして翌年の七夕の日にも会う約束をしていた。しかし村は大雨による洪水で
とても行ける状況ではない。「約束は守らなければ、きっと娘は待っている」と
若者は必死で濁流の庄内川を泳いで娘の待つ田幡村に行こうとした。
しかし水かさは増すばかり、とうとう若者は川の濁流に飲み込まれてしまった。
娘は約束を破られたんだと思ったが、そんな天気のこともあって
来られなかったのだと思い、毎日この多奈波太神社で若者を待っていた。
しかし、娘の耳に入ってきたのは枇杷島に若い男の水死体が上がったという話だった。
娘はその話を聞くと、そのまま庄内川に身を投げた。今でも田幡村の人達だけは
牽牛星は小田井村の若者、織女星は田幡村の娘なのだと思っているそうだ。
一途の恋もいいんだがやっぱり無茶はいかんな。男も引くべき時は
引かなければいけないと小田井村の無謀な若者に時を越えて教えられた気がした。
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写真は多奈波太神社の境内で見つけた可愛いグッズ

これまでが駅の南の方の話だったが、北の方にも面白い神社がある。
駅から北に400m程行くと国道41号線から1本入った、まさにエアーポケットみたいな
閑静なエリアに綿神社という神社がある。この神社の一番のウリは全長150mはあろうかという
真直ぐに伸びた参道の存在だ。こんなに長い参道の入口から霞んで見える拝殿、
絵も言えぬ感覚なんだな。私もたくさんの神社を拝見してきたが、こんなに長くて立派な参道は
見たことがない。一度は見る価値ありと言ってもいいじゃないかな。
余談だが、ここの狛犬はトボケタ顔して明治41年奉納の銘が刻んである。

◆綿神社:綿とは海(わた)の別字として用いられるもので綿神社=海神社だといってもいい。
ということはここら辺りは海だったということになる。この神社の起源は古く、
弥生人であるアヅミ族がココに来た時が起源といわれている。ここら辺りの志賀という地名も
九州の北、博多湾入口にある志賀島から付けたといわれている。
だから一言で言えば、アヅミの根拠地の志賀島にある志賀海神社とゴクゴク近い
親戚のような神社だといえる。まぁ記録としては平安時代初期の年中行事などを記した
「延喜式」に登場したのが初見だが。その後は荒れ果ててしまうのだが戦国時代、
現在の志賀公園に屋敷を構えた織田家の家老平手正秀が社殿を再興し、鏡と手彫りの
狛犬(当然残っていない)を奉納してあるお祈りを一生懸命したと伝わっている。
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写真は一度は訪れてもらいたい参道

もうひとつ、駅から北東に500m程行った区画整理も済んでいない旧市街地のようなエリアに
児子八幡社という神社が残されている。この神社、境内もそんなに広くないし、
拝殿が立派でもないし、パッと見はゴクゴク普通の神社と変わらない。
しかし私が訪れた秋の日の朝、7時前だというのに近所の年寄り達が集まって
境内の清掃に精を出していた。この光景を身の引き締まる思いで見ていた私が
参拝を済ませ拝殿横を何気なく見た時、幸運の女神が微笑んだみたいだ。
そこには見るからに古そうな狛犬がいた。近寄って台座を調べると明治36年奉納という
文字がクッキリと彫ってあった。ということはこれまで100体以上も見てきた中で
一番古い狛犬ということになる。余談だが、世紀の発見も案外何でもないこと。
見つけた当初は「フンン」と次の目的地のことを考えていた気がする。

◆名古屋の狛犬:これまでに狛犬を探して多くの神社にお参りしてきた。
結果はというと、当然行った神社の規模によっては影もカタチもないところもあるし、
その反対に最高で3種類の狛犬がいるところまで千差万別だった。
ちなみに名古屋市内でどのくらい神社があり狛犬がいるのか。こんなバカみたいのことを
調べる人はいないと思うが私はあえて調べてみた。神社の規模によっては
地図に載らない祠のようなものもあるし、はっきりとはしないのだが
アトラス社の1/8700の地図で神社マークのある箇所を数えたら
名古屋市内に247箇所もあった。一番多かったのが中川区の43箇所。
一番少なかったのが昭和区の7箇所。地図に載っていないのも合わせると
最低でもそれの約3倍の700箇所ぐらいはあるんじゃないだろうか。
しかし全部が全部行ける訳でもない。例えば名東区と天白区にまたがって広がる
牧野ケ池緑地の奥の方、五合下池のそばにある神社は今の私にはどうコロンでも
行けそうにない。それと聞くところによるとあんなに広大な境内を持つ由緒ある熱田神宮ですら
何故か狛犬が1匹もいないそうだし、神社に行って狛犬にお目にかかるというのは
まさしくウンだけなんだという気もする。1神社に0匹から3匹いるとして、
それが約700箇所あるとする。私のこれまでの経験から独断の方程式で計算すると
1.2×700=840種類いるということになる。ここで話を複雑にして申し訳ないが、
狛犬は神社だけの専売特許ではない。数は少ないんだが寺院にもいる場合がある。
寺の数は余りに膨大で数える気になれない(ちなみに東区の場合、神社が9箇所に対して
寺院が24箇所もある)が、これまでの経験から判断して名古屋市内の寺院にいる狛犬は
多く見積っても50〜60匹(これを探すのが一番タイヘン)は下らないと思うので、
締めて合計900種類以上の狛犬が名古屋市内のドコカシコにいることになる。

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写真は古さでは名古屋1・2番を競う狛犬

【駅での一言】
地下鉄「黒川」駅にはエレベーター・障害者用トイレや目の不自由な人のための誘導チャイムなど交通弱者に対する設備が比較的早くから整備されているという話だがエスカレーターは1基片側だけがホームにあるのみ。しかし定期券発行所もあるし、何よりも交通局直営店Do!黒川(要は売店)がホーム上にあるのでこれはこれで便利なんだな。
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by tomhana190 | 2010-03-13 08:55


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