心の曼陀羅:2

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茶室

その日、今尾藩に大きな事が持ち込まれたのは、その日の夕刻であった。
大藩からのそれは誠に突然であった。
そしてその申し越しは、いささかの返言の余地もない程の下達そのものの姿勢であった。
黒漆に葵金紋、紫紐を大結びにした2人担ぎの箱荷は
大きいものではなかったが、重厚そのものの外観である。
まだ暗くないというのに大きな箱提灯を提げた迎え侍のあとに続いて、
はるばる尾州名古屋から重役である若年寄がひとり、
その御共4人、それに荷担ぎの2人の計7人である。
この一行は間もなく閉門という時刻のわずか前、
藩主御殿の大門をゆっくりとくぐった。

慌ただしかった正月の諸行事がことごとく終わって、
ようやく平常に戻った城中であったが、雪降りはこれからもなおというこの頃、
日の温度も次第に落ちてゆく夕刻、この一行は到着した。
重役は城までずっと乗馬であった。
道中、雪もそれ程でなく楽であったということである。
御殿の中は大藩からの使者ということで、何か常とは違った雰囲気が感じられた。
間もなく冬の陽も沈み、それに代って御紋付高張提灯が次第に明るく浮き出てきた。
この夜、大殿と尾州重役との要談は夜更けまで及んだ。
重役が御殿を退出したのが11時を回っていた。

翌朝、邸内客室棟での重役朝食の相手は城代が務めた。
その後、再び大殿と重役とは御殿上台の松林の中にある茶室「圓月」に
場所を移して対座した。下からこの茶室までの雪は綺麗に掃き寄せられていた。
その傍にはこの地方の守り神であり、城の守り神でもあるお千代保稲荷から
分社された小さな祠がひっそりと雪に埋もれていた。
2人はこのわずかな道を白緒の草履でのぼってきた。
茶室は四畳半である。常はここは殿の茶室であり、書斎をも兼ねるようになっていた。

真ん中には炉が切られ、そこには今、炭が赤々とあり、
更にそれぞれに火桶が手許に配せられていた。
この室には余程の者でない限り入室することは許されない。
ここは珍重にも障子戸の一部が硝子張りであった。
そのため、雪の外明りを受けて尚更に明るかった。
床には赤い冬椿が一輪清楚に活かっており、
軸には華という静かな書体の一字が眺められた。
紫檀の粉が全て塗り込められているという三面の壁は
それは確かにその匂いが微かであった。
大殿は茶室着ともいえるもので艶のある綿入れ姿は気品に溢れていた。

おもむろに対座した2人はゆっくりとした表情であるが、
まだ重々しいものが幾分感じられた。
接続する水屋では接待役の茶間控えの茶職ひとりと奥女中のひとりが
御茶の準備を進めていた。御流は武家好みの小堀遠州流である。
背戸では足軽のひとりが御用控えとして控えている。
やがて茶職によって茶が室へと運ばれてきた。全て本日は略式のようである。
この突然のことは、今尾藩としてはとにかく大きくのしかかったものと言えるものであった。
ことごとく人の心情を遥かに上回る大行事として現れようとしている。
ゆっくりと茶を楽しんだ2人が、暫し沈黙のあと、殿が一言二言、口を開いた。
それに対して重役が丁寧に二度三度頭を下げた。

重役はここで殿自らのお茶のもてなしを受けたあと、即刻帰路につくこととなり、
御殿役職たちの見送りを受けて今尾城を予定の時刻に下城していった。
客退出のあとも、殿はひとりなお茶室に閉じこもった。
奥女中も足軽もこの台地から払われて、そこには老茶職がひとりが
背戸口の畳に背を丸めて控えているだけである。

「慈しむが故に最高をつくす、か」殿は静かに目を閉じたままそうひとり言した。

思えば、本日は尾州からの只、伝言のみということであったが、
もうこれは動かすことのできない大きな事態であることに於いて、
殿はとにかくいずれにしても深刻な思いであった。
まず家族親族をも併せて、早々この旨を知らさなければならない。
また藩としてもこの議を早急に持たねばなるまい。
そして更にその確とした返答を尾州へと差し向けねばならないだろう。
殿は改めてそのことを心に決めたようであった。
雪模様は遂に雪となった。大きな牡丹雪がこの室に音を立てて降りはじめた。
殿はそれでもなお動こうとはしなかった。

この事があってから11ヶ月後、
今尾藩始まって以来という豪華な華燭の宴が殿中でもたれた。
今尾藩の若殿と尾州の姫君との目出度い御祝言が、
城中城下、上げて盛大におこなわれたのであった。
思えば、そのお祝の行事が何日も何日も続いて行なわれたその当日の日、
藩主というものの孤独と心中を一番よく心得知っている家老は
上下姿に朱の着物、白扇を腰に威儀を正して御殿へとのぼっていった。
今度の受け入れ側の全責任者であることの自覚、殿の心中をも相はさんで、
彼は思わず歩きながらも目をふと閉じるといった深い思いの中に、
御殿へとゆっくりと踏み締めるようにのぼっていった。
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by tomhana190 | 2010-03-13 08:07


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