リハビリ日記:96

酒の話

4年前の今日、脳梗塞で倒れて救急車で病院に担ぎ込まれた。
それ以来、自分ひとりで飲みに行くというそれまで当り前のことだったことが、
今では飲みに行くどころか、家で飲むことすら嘘のように感じられて久しい。
そんな悲しい記念日に、私の好きだった酒の話を少しだけ、
熱くならずに淡々とグラス1杯の酒を飲むだけだから。

昔の偉い茶人は「一期一会」の覚悟で一碗の茶をもてなした。
茶でさえそうなのである。ましてや酒である。
今日という日は2度となく、今日の酒は今日限りの酒である。
その積み重ねが、いつの間にか3年5年となり、そうしてある日突然、人生は終わる。
酒と共に日一日と死に向かって歩み続けるのが、少なくとも男の一生である。
女の場合は必ずしも男と同じではない。
女という生き物には子を生むという特権がある。
生まれた子は母の分身である。母と子はふたつであってひとつである。
その特権によって女は永遠の生命を生き続けることができる。
しかし男はそうはいかない。

確実な死に向かって有限の時間を確実に減らしていくのが男の一生である。
それはたまたま50年で終わるかもしれないし、あるいは70年、80年と長く続くかもしれない。
いずれにせよ、生きた年月の長さは単なる結果に過ぎない。
大事なのは「今日」という一日である。
なればこそ、今日の一杯の酒をしみじみと惜しみつつ飲まなければならないのだ。
それが人生最後の一杯でないという保証はどこにもないのだから。

毎晩、グラスの中に揺れる酒を眺めながら、そう思った。
そう思って飲む酒は実にうまかった。
だから、いい加減な肴、肴とも言えないようなオカズがただ漫然と出てきた時は、
「こんなもので酒が飲めるか!」とテーブルをひっくり返さなければならないと思ってた。
何も飲み屋のように、ことさらご馳走を並べろと言うつもりは毛頭ない。
その日、スーパーで一番安かった旬の鰯一匹でいいのだ。
ただ、それを飯のオカズとしてではなく、
あくまで神聖なる命の水『酒』の肴として出す気配り、
それが大切だということが言いたいのである。
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ウォッカの語源は「生命の水」というロシア語からきているという。
そもそもウォッカというとジャガイモで作られた酒だと思われがちだが、
元々ジャガイモはロシアにはなかった。
ウォッカとは最初、ライ麦やハチミツで作られた酒だったのだ。
その後、ロシア革命で逃げ延びたロシア人達が世界に分散し、
小麦やとうもろこし、ジャガイモで作る製法が逆にロシアに帰ってきて今のようになった。
何故かウォッカはジャガイモなどの雑穀で作られるので強くて癖のある酒と思われがちだが、
実はそうではなく非常に癖のない飲みやすい酒なのだ。
一度蒸留してグレーンスピリッツ(約95度)を作り、それを水で40〜60度まで薄めてから、
白樺を焼いた活性炭で濾過するという方法で作るので飲みやすくなる。
有名なカクテルとしてはオレンジジュースで割った「スクリュードライバー」。
グレープフルーツジュースで割り、グラスの淵に塩を付けた「ソルティードッグ」。
ジンジャーエールで割りライムを加えた「モスコミュール」など
こうして例をあげるとカクテルの定番といわれるものが多いのに気付く。
銘柄としては「ストリチナヤ」「スミノフ」「フィンランディア」などが有名だが、
ズブロッカ草の茎で香りを付けた「ズブロッカ」というウォッカが私は好きだ。
飲み方としてはやはり冷凍庫でキンキンに冷やしてのストレートで飲むのが最高。
「ウン、効く〜」
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by tomhana190 | 2010-03-09 10:35


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