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心の曼陀羅:14

落城/後編

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地上に下りた大将は徒歩で本丸へと登っていった。
軍扇を手に登りゆく彼が途中で敵の矢を受けてたのであろう、
矢を胸に射したまま絶命している兵に近寄り、それを強く引き抜いて地に叩き付けた。
間もなく彼は従者達と共に本丸の残骸横の広場に着いた。
そして「皆のもの、ここに集れ」と号令した。
急遽、城攻めの全員が競うように集合してきた。
中には足を引きずっている者、片腕を失している者、鮮血で全身を真っ赤に染めている者、
等々、それでもかばい合いながら集ってきた。

「お屋形様の御前で勝鬨の儀じゃぞ」
老将のひとりがそう言って総大将の前に皆を並べた。山中を埋めるほどの軍勢である。
その最上位の老将が大将の方へ向き直り、敵城ようやく占拠した事、
今、めでたく勝鬨の儀に及んで全隊勢揃い終わった事などを言上した。
総大将は小者が差し置いた床机に腰を下ろしたまま、厳粛な表情で「よし」とうなずいた。
そして全隊の前に大きく立上がって両手を高くかざしながら、
「者共、いざ勝ったり、声を揃えて叫べ」と大声で言った。

すかさず老将の合図で全士一斉に「ウアーッ、ウアーッ、ウアーッ」
と吠えるように天に向かって叫んだ。その声は山中に響き渡った。
ちょうどその時である。
出丸の一角に老女と覚ぼしき女が現われ出て、櫓前に座った。
腕には琵琶を抱え持っているようであった。
頭巾に艶のある衣服、なかなか品位が高い女である事が伺える。
老女はこちらを見るでもなく、その場に座したまま、ゆっくりと琵琶を弾き始めた。

その姿を見て、兵のひとりが弓に矢をつがえて狙い射ようとした。
「待て、待て待て、待て」これを制止したのは誰あろう総大将であった。
大将はそう言うと「命乞いであろうぞ」と呟くように言った。
そして「弾くがよい、ずっと続けて弾くがようぞ」と言った。
それはすぐ先端者に伝えられ、大声で先方へと叫ばれた。
女はその声に見向きもせずに四弦にバチを当て、音を哀しく震わせている。
総大将は前に控える書役を求めた。
現われた書役は総大将の言葉を紙中に連ねていった。
終わった書役が復唱した。内容は次のようであった。

一、女子、小児は許し、他に預けの身となす。
一、将士は徒歩武者、小者といえども罰刑に処する。
一、全士、即刻建物を出て、稲葉山城を全て明け渡すべき事。
一、以上、外、問答無用なる事。

この書状はさっそく弓者に渡され、出丸櫓へ打ち込むこととなった。
ひとりの武士が老将からその旨をいい渡され、その仕草をとった。
やがて、石垣上に立った武士は櫓玄関に目掛けて弦をいっぱいに絞って矢を放った。
放たれた矢文はあたかも飛燕が外から家中に飛び入る時のように、
見事に暗い櫓玄関の奥の方へ音を立てて吸込まれていった。
生い茂る老松の下、琵琶の音はなお止む気配がないようであった。

総大将は寸時感慨にふけった。
今、遂に成れり。敵の落城、思えば長い行程であった。
彼は自らの心労をもここに忘れた如く、栄枯、長恨の音に耳をかたむけた。
瞬間、この静止をかき乱すかの様に空一杯の烏の鳴声が騒がしくなった。
更に、この声を覆い隠すように霧が音を立てたかのように辺りを這い始めた。
黒煙に包まれ火柱を上げていた伊奈波神社の社殿も今は静寂の中にあった。
それでも老女の弾く琵琶の音はなお哀しく続いていた。
by tomhana190 | 2010-03-08 15:42


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